“海界”とは、海皇の海洋神殿だけを指すのではない。
 聖闘士との戦いののち、海中に没した以前の海洋神殿と、海将軍達が甦ったのち新たに集った海洋神殿とがあるように、幾つもの海神の領域が点在し、それらを彼らが《道》と呼ぶ移動経路によってつなげている、らしかった。
 現時点において、今生、海皇の現身たるジュリアンを主と仰ぐ海闘士達が把握している“海界”の領域は、以前の海洋神殿と新たに集ったただ今の海洋神殿。そして、聖闘士との戦いの間から海将軍が甦るまで、その他の海闘士達が退避していたある場所の三ヶ所である。
 そこでは、海洋神殿とは異なり、石造りの建造物が一つあるほかは、まるで地上のように平原と森林が広がり、淡水の泉が湧き川が流れる風景が広がっていた。また、牛や馬などの生き物も見受けられた。
 その場所で、目を引くものを見た、とバイアンが口にしたのは、彼らが甦り、海皇として過ごした記憶を取り戻したジュリアンが海界に戻り、退避していた海闘士達が新たな海洋神殿に集って間もない頃のことである。

 あれは、あそこにいる生き物たちのリーダーのような存在だろうか、とバイアンは言った。
「なんというかな。姿形が他とはまるで違って見えたのだ。上手く説明出来ないが、遠目でもあれは特別な馬だと思った」
「そんなに立派な馬だったのか?」
 軽く目を見開いて、そうイオが相槌代わりに問い返すと、バイアンははっきりと頷いた。
「ああ、見た目もそうなのだが、視線が他の馬とはまるで違った」
「視線?」
「賢い目をしていた、ということか?」
 バイアンの表現に、ソレントとクリシュナが首を傾げた。
「いや、聡いという言葉では追いつかない、もっとなにか違う視線だった」
「存外、馬に見えるだけで、馬じゃあなかったりしてな」
 そう言って。視線をカノンとアイザックに向け――、その表情を見たカーサの動きが止まった。
 その気配に、他の四人も視線を転じ、やはり、一瞬動きを止めた。
 隻眼を瞠目して絶句するアイザックと。
 眉根を寄せて沈黙するカノンと。
「――神馬アレイオン……」
「……だろうな」
 呆然と呟いたアイザックに、カノンが低く肯定を返す。
 その二人の反応に困惑する五人に、カノンは唐突に指示を下した。
「今すぐ、鱗衣を着て支度しろ。飛び地に向かうぞ」
「どういう意味だ?」
「その、神馬アレイオン?とは一体……?」
 突然の言葉に、カーサが反射的に問い返せば、その語尾に、バイアンの問いかけが重なった。
「神馬アレイオンは、ポセイドン様と大地の女神デメテルとの間に生まれた御子だ」
「事実、それが神馬アレイオンならば、あそこは神馬の領地である可能性が高い。それも含め、海皇の配下である俺達が海皇の御子に対してこちらから挨拶ひとつせぬというのは、あまりに礼を逸するだろう」
 二人の問いかけに、やや早口で説明が返る。
 それらの説明に、了解を示しながら。
「――だが、何故馬の姿なのだ?」
 ポツリ、と。素朴な疑問を呟いたクリシュナに、「長くなる、また後日説明する」と応じたカノンの端的な一言に、皆の中で謎がいっそう深まったことは余談である。



『御挨拶』(17年1月初出)
実は飛び地の主としている設定のアレイオン。
 名前を決めないか、と、ジュリアンさまに言われたのだが、なんとつければよいのか分からない。

 すりすりと、足に頭をこすりつけてくる仔熊を見下ろしながら、困惑を薄くにじませた語調でアイザックはそう呟いた。
「一般的には、どういった名前を付けるものなのだ?」
 “ペット”を飼う習慣に馴染みのない所為か。思案に行き詰ったアイザックの問いかけに他の海将軍達は、それぞれ顔を見合わせあったり、思考を巡らせたりとして、最年少の同朋の相談に応じるべくそれぞれなりの反応を示す。
「オラフには相談しないのか?」
 最も側近くに控える副官の意見は如何なものか、と、ソレントが問うと、「俺が思いついた名をつけてやればどんなものでもいい、と言われた」と、アイザックは僅かに目を伏せた。
「とはいえ、あまり珍妙なものはよくない、と思うのだが……」
「そう気負う必要もないとは思うが?」
 眉根を寄せるアイザックに、別段、命名に確固たる規則があるわけではないのだから、と、クリシュナが小さく首を傾げる。
「思いつかない、というのなら、いっそ、神話からとってはどうかな? たしか、星座の神話はギリシア神話が基になっているものが多いのだろう?」
「なるほど。大熊座小熊座か……」
 イオの提案に、バイアンも頷いたのだが。それを受けたアイザックは、困ったように寄せた眉根を緩めぬまま、口を開いた。
「……大熊座や小熊座の神話は、海界の縁者にはあまり適さないのだ」
「そうなのか?」
 海将軍とはいえ、彼らにとっては異国の神話だ。把握している物語はそう多いわけでもない。
 ゆえに、首を傾げる面々に、アイザックは簡単に、ふさわしからぬ理由を説明する。
「大熊座と小熊座は、カリストとその子アルカスの姿なんだが。カリストは元々女神アルテミスの侍女だったのだが、主神ゼウスの子を身ごもったために熊に姿を変えられ追放されたのだ」
「待ってくれ、妊娠したから、で、姿を変えられて追放される意味が分からないのだが」
「女神アルテミスは処女神の誓いを立てているのだ。だから、侍女達にも貞淑であることを求められているんだ」
「だが、女性の場合、当人の意思に反した妊娠という可能性もあるだろうに」
 動揺するバイアンと、眉根を顰めるクリシュナに、続けてもよいだろうか、と視線を向け、それを促す反応を認めてアイザックは再び口を開いた。
「生まれたアルカスは祖父であるリュカオン王の元で無事に育ったのだが、ある時、森で熊の姿の母親と出会い、獲物とみて仕留めようとしたんだ」
「どうして、そんな修羅場に展開してしまうんだ」
 思わず、頭を抱えて小さくイオが呟く。
「それを見たゼウスが、アルカスに母殺しを犯させない為、熊の姿に変えて二人を天に上げ星座とした」
「他に解決策なり仲介のしようなりあるだろう……」
 やはり小さく呟きながら、ソレントは上を仰ぐ。
「だが、不義の子とその母が天に上げられたことを女神ヘラは不服に思ったんだ。それを大洋オケアノスに訴えた結果、カリストとアルカスには他の星座のように海中に降りて休むことを禁じられた」
「成程、大熊座の尾は北極星だから、常に北天を回り続ける――、筋は通るな」
「……だんだんとカリストに同情しか覚えなくなってきた」
 微妙に目が遠いクリシュナと、うなだれるバイアンもまた、小さく呟いた。
「大熊座も小熊座も、海に拒絶されているから、その名は似つかわしくないと思ったのだが……」
「ああ、そうだな……」
「別の名がいいと思う……」
「うむ、その名は少し不祥だからな」
「違う名前にしよう」

 何ともいえない場の空気など素知らぬ顔で。仔熊は相変わらずアイザックの足にじゃれついていた。




『なまえをつけましょう・2』(18年4月初出)
書き手の中では候補は決まっているけど、中々作中ではそこまでいかない仔熊の名前。

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