それは、海界において鱗衣を常時装着しない日常が定着し始めたばかりの頃のことである。

 素朴な疑問なのだが、と前置きをして。
 イオは、ムハンマド、ワンホイ、パールヴァティー、グラントの四人に視線を転じた。
 なにがでしょう、と、代表するように口を開いたムハンマドに、イオは素直にこう問うた。
「抜き身で携帯していて、危なくはないのか?」
 問いながら、視点で示されたのは、四人の鱗衣に備え付けられた武器だった。
 鱗衣を装着していない状態でも、海将軍の副官達は、それぞれ自身の武器を携帯しているのが常だ。――一瞥ではどこに所持しているのか分かり難いが、エウロペとオラフも水球とシールドを常に手放さないでいるらしい。
 それ自体は、特に問題ではない。いざという時に常に備えるその姿勢は立派だ。
 ただ、ムハンマドもパールヴァティーもワンホイも、腰に革のベルトを巻き、そこに己の武器を直接佩いているのだ。グラントも、本来なら己と同じほどの長さになる長柄斧の柄を短く収納し、杖として使える長さで持ち歩いているわけだが。四人とも抜き身で持ち歩いていることに変わりはない。
 刃で自分自身を傷つけはしないのか、と、若干の心配を交えた疑問をイオが抱いたのは、ある意味で当然のことだった。
 その質問に、四人は一瞬、互いに視線を交わしあい――、やはりムハンマドが代表して口を開いた。
「問題はありません。どれも、物理的には刃が無いのです」
「刃がない?」
 首を傾げたイオに、ワンホイが補足した。
「ええ。持ち主が小宇宙を注がないと切れ味が出ないように作られているみたいなんですよ。このままだと紙も切れませんねぇ」
「ですから、抜き身でも何も危なくはないのですわ」
 ワンホイの発言に、パールヴァティーも頷く。
 そこに、ソレントが近付いてきて会話に加わってきて、やはり日頃疑問に思っていたであろうことを口にした。
「だが、重くはないのか? 大きさからすればそれなりに重量がありそうだが」
 言って、視線を転じた相手はグラントだ。
 彼の長柄斧は、刃の部分が持ち主の顔より大きい。華奢な北太平洋の副官には重すぎはしないかと、こちらも多少案じていたらしかった。
「いいえ、それが重さを感じないんです」
「ああ、見た目はかなり重そうだろう? だが、実際持ってみるとまるで重くないんだ」
 首を振ったグラントのあとを、ソレントに続いてその場に近寄ってきたバイアンが続けた。
「あれ〜? でも、ボクが持たせてもらった時は、見た目どおり重かったですよ〜」
 そのバイアンの発言に、イオの側にいたエウロペが首を傾げる。
「そりゃあ、あれだ。鱗衣と同じで持ち主にだけ重さを感じさせないように出来てるんじゃねえか?」
 それを聞き、横でカノンと話していたカーサが、さらりと口を挟んできた。
 カーサの仮定に、クリシュナが軽く首を傾げる。
「では、他の者が小宇宙を注いでも切れるようにはならぬのだろうか」
 クリシュナの呟きに、ムハンマドが頷いて肯定した。
「なりませんでしたな。七人全員で一通り試してみましたが、持ち主以外では反応しませんでした」
「鱗衣も、自分の以外は着れなかったんだよねー」
 ムハンマドの応えに、エウロペが続けた言葉に、カノンが呆れたように吐息をついた。
「お前達、何をしていたのだ」
「ゲオルグが、ローレライは女性用じゃないかって最初困ってる感じだったから、交換しようかって話になった時に色々試したんだよねー」
「……エウロペ」
 エウロペの暴露話に、蒸し返すな、と言いたげな、複雑な語調でゲオルグが低く呟く。
「――いや、交換出来るものではないだろう……」
 それ以上に複雑な表情で、頭を抱えるアイザックに、オラフが申し訳なさげに言い添えた。
わたしどもは、海界に参るまではこういった世界に無縁でおりましたから、当時はそれほど特別なものだとは思わなかったのです」
「でも、それでシードラゴン様の「選ばれた」って話が信じられるようになったよねー」
 屈託なく笑ってエウロペが落とした爆弾発言に、アイザックはいっそう頭を抱えた。
「……その時まで半信半疑だったのかよ」
 思わず口にしたカーサの言葉に、なんとも言えない苦笑をこぼすムハンマドの横で、オラフが実に申し訳なさそうにこう応えた。
「なにぶん、それなりにいい歳をした成人おとなでございましたから」
 その言葉に。
 笑うより他の反応が出なかった――。



『だから、海龍だと疑わなかったんです』(14年1月初出)
何の違和感もなく当然のように鱗衣身にまとっておいて“偽物”の訳ねえよ(笑)
「そういえば、この子の名前はまだ決めていないのか?」
 屈んだ膝にすりつけてくる仔熊の頭を撫でてやりながら、ふと、ジュリアンはアイザックにそう訊ねた。
 本能的な何かで察しているのかどうかは分からぬが、海界に連れて来られたばかりの頃、まだ周囲の海闘士に警戒していた時分から、この仔熊はジュリアンには従順だった。野生の何かで、ジュリアンの身の内に宿る人ならざるものを感じ取っているのかもしれない。
 ジュリアンが微笑みながら手を差し出せば、仔熊は教えてもいないのにその掌の上に肉球を乗せた。誰が教えたわけでもないのにジュリアンに対しては、おかわり、おすわりも万全だった。
「名前、ですか?」
 そんなほのぼのとした主の様相を眺めながら、先の問いにアイザックは首を傾げた。
 確かにひどく人馴れしてしまったが、傷が癒えれば元いた場所に返す。最初からそのつもりで保護したのだし、そう約定もしたのだ。バイアンやイオ達は、このまま手元で世話をし続けても構わないだろう、というが、アイザックとしては、やはり、元来生きる場所に帰してやらねば、と思う。
 ゆえに、アイザックには命名の必要性の有無を考えもしなかったのだが、ジュリアンの考えは違ったらしい。
「そう。ずっと“この子”と呼び続けてもいられないだろう?」
 撫でて欲しいと言わんばかりにすり寄せてくる仔熊の頭を優しく撫でてやりながら、穏やかに笑うジュリアンに、アイザックはその目にわずかな困惑をにじませた。
 いつかは海界から離れさせねばならぬ生き物だ。ならば、呼称をつける――海界に継続的な居場所を確保する証を持たせる――ことは、その前提に反していないか。
 そう考え、沈黙するアイザックに、ジュリアンは仔熊の顔を両手で包むように撫でやりながら言葉を続けた。
「付け焼刃の知識だけれど、野生動物を保護した後、元の場所にそのまま戻せばいいというものではないそうだよ。少しずつ元の環境に慣らしながら野生に帰さないといけないらしい」
 そう言って。ジュリアンはアイザックを振り返ると、にっこりと満面を笑みほころばせた。
「つまり、野生に帰すにしても、時間がかかるのだから、やはり、名前は付けてあげないといけないとは思わないかい?」
 疑問形で投げかけられた、実質的な主命に、アイザックが応答に詰まった一瞬を、ジュリアンは逃さずさらに言を重ねる。
「たとえ、元の環境に戻って行っても、この子が海界で暮らした事実は消えないだろう。私は、この海洋神殿を去ろうとも、この場所で暮らしたものは皆等しく海皇の属だと思うよ」
 そこまで言うと、ジュリアンは仔熊に視線を戻し、慈しみのこもった微笑をたたえ、小さな体を抱き寄せた。
「だから、この子が私達と共にあった証として、名前を付けてあげて欲しいと、そう思うのだ」
 そっと、独り言のように囁かれた、その呟きに。
 承諾の言葉と共に頷くほか、アイザックに出来ることはなかった。



『なまえをつけましょう・1』(14年4月初出)
ジュリアンさまマジ海皇な話になってしまった(笑)

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