「サガ? どうしたんだ、こんな夜更けに?」 「……アイオロス。お前こそ……」 頭上からの声に顔を上げれば。十二宮の階段、その傍らに壁のごとくそびえる岩肌の上にその声の主の姿があった。 「ああ、日の出を待ってるんだ。女神から伺ったんだが、日本では新年最初の日の出を起きて待つ習慣があるそうだ」 「……まだ、日の出まで三時間はあるぞ……」 屈託なく笑うアイオロスの弁に、困惑したようにサガは口ごもる。 「こうやっていつもと違う景色を見るのもいいものだぞ? サガも一緒にどうだ?」 明朗なその誘いにサガはますます戸惑った表情を浮かべる。躊躇しながらも岩肌に足をかけ――そのまま軽い身のこなしで駆け上がった。 上まで登ると、当然のように傍らに腰を下ろすよう勧められた。 「そういえば、生き返ってもう半年以上経つのに、二人だけで話したことはなかったな」 「ああ――」 「なあ、サガ」 口数少なく俯いて頷くサガに、アイオロスは不意に、その声音に真摯な色を宿してこう言った。 「――言いたいことは、出来たら全部言って欲しい。俺も、ちゃんと聞くから。それから、言われて嫌だったことも、そう言ってくれ。気をつけるから」 十三年前。 年齢に不相応な過剰の責任と成熟した振る舞いを求められていたあの頃。 目前の人物は生来の性質が災いして、それに押し潰されつつあったのだと。 そのことに気付けなかったことをアイオロスは甦った今も――今だからこそ、悔いていた。 すべてを知った今なら、あの頃の自分が無邪気に――無意識に語る言葉がどれほど相手を追いつめていたか、理解出来る。 親友だと、素直に思っていた。それが独りよがりだったことは多少寂しいけれど。 だからこそ。 再び現世に戻ってこれたこの奇跡を無駄にはしたくなかった。 今度こそ、互いに親友だと心から言える絆を作り上げたかった。 「改めて、今年からよろしく」 快闊に。笑ってそう言うと、アイオロスは開いた掌をサガの方へと差し出した。 その差し出された手を。 しばし、戸惑ったような表情で見つめていたが――逡巡しながらも、ゆっくりとその手に己の手を差し出した。 戸惑いながらも伸ばされたその手を。 アイオロスは嬉しそうに笑みを深めて引き寄せると、強くその掌を握り締めた。 『よろしく』(05年1月初出) |
「――それにしても。人がいないとこうも静かなものだったのですね」 ソレントの何気ない呟きに、一瞬首を傾げて――アイザックは納得したように頷いた。 「……ああ。言われてみれば、そうかもしれないな」 その言葉に、同じく海洋神殿に常在しているクリシュナも頷く。 「うむ、常に比べれば人が少ないからな。そう感じても仕方あるまい」 海闘士には地上に家族や生活基盤を持つ者が多い。 それらの者は新年の休暇で帰省していた。海将軍の中でも、カーサ、イオが帰省している。バイアンも休暇が明けるまでは海界に顔を出せないと言っていた。(ソレントは皆とは逆で、休暇を機に海界入りをしている) その所為か、海洋神殿は常と比べてどこか閑散とした印象が拭えなかった。 「こんなに人気が少ない姿は初めてみました」 海界のタイムゾーンはジュリアンを――ギリシャを基準にしている。だが、海闘士達の生活基盤は地上のあちこちに散らばっている為、時差の関係で全員が一同に会するのは何らかの集合がかけられた時だけだ。 それでも、普段ならば一定以上の人数が海界に詰めているから、今回のように人気が少ない状況をソレントが見るのは初めてだった。 「――そうだな。わたしが海界に来た頃でももう少し人がいたものだ」 静かにクリシュナが呟くと、アイザックもそういえば、と口を開く。 「オレはよく覚えていないが、海闘士の数が増えたのはカーサが来た頃からだと、以前聞いたことがある」 思い起こしながらそう言って――アイザックはわずかに眉根を寄せながら、ぽつり、と呟きを付け足した。 「――十二年間、ずっと……もっと寒々しかったのだろうか……」 アイザックの痛々しげな呟きに、クリシュナは無表情のまま目を閉じ、ソレントはなんとも言いがたい顔つきで視線を逸らした。 「――カノンが帰ってくるのは――明日でしたっけ」 「ああ、取り敢えず顔を見せて――今晩は泊まってくると言っていた」 「もう少しゆっくりしてきてもよかろうに」 ほんのわずかな哀愁を噛み締めながら、三人は誰からとも無くこの場にいない人物のことを話題にのせる。 その口調には、話題の人物への情もまたにじんでいた――。 『留守居の閑話』(05年1月初出) |
正直。 シュラは困惑していた。 強制的に巨蟹宮に連行されたことにではない。 困惑したのは、目前に置かれたイタリアワインの白。それから北欧産のブランデー。この二つの酒瓶に、だ。 「……何だ、これは」 怪訝な表情で訊ねるシュラに、アフロディーテは軽く小首を傾げてこう応えた。 「見て分からんのか? 君への誕生祝いだ」 「まさか、自分の誕生日も忘れたんじゃねえだろうなあ?」 その隣でデスマスクがにやり、と揶揄するように笑う。 二人の言い分にシュラは非常に疑わしげな眼差しを向けた。 「…………待て。祝いだ、というのなら普通は贈る相手の好みに合わせるものではないのか?」 白ワインはデスマスクの、ブランデーはアフロディーテの好みであり、シュラ自身はウィスキー党なのだ。 ワインやブランデーが嫌いなわけではない。が、こうも贈り主の趣味を優先した品選びでは、本当に贈る気があるのか、疑惑が生じるのは仕方がないだろう。 ありありとにじむ不信感が、ただでさえ三白眼の所為でよろしくない目付きを更に剣呑に見せていた。 そんなシュラの疑わしげな色が刷かれた視線を、目前の二人は平然と受け流す。 「何か問題があるのか? 久方ぶりに祝う君の誕生日だ。わたしがもっとも美味いと思うものを選んできたのだぞ?」 「いいじゃねえか。どうせオレ達も呑むんだからな」 実に二人らしい言い分に、慣れてはいてもつい大仰な溜息をついてしまうシュラだった。 「…………やはり、贈る気はないだろう」 「細かいことを気にするな。折角の酒が不味くなるぞ」 その溜息もあっさりと流してアフロディーテはブランデーの栓を開け、シュラにグラスを差し出した。 「安心しろって。肴のほうはスペイン風にしといてやったから」 デスマスクの方はひらひらと手を振りながら立ち上がると、キッチンの中に行ってしまった。 「実にありがたい、中途半端な気遣いだな」 言いたい放題の同胞達に軽く悪態をつき、シュラはアフロディーテの差し出したグラスを受け取る。 ――もっとも。その口元には呆れの入り混じった苦笑がにじんでいたが。 『シュラ誕』(05年1月初出) |
「本当に、何も手伝うことはないのか?」 宝瓶宮、その私宮。 カウンターごしに、宮の主がそう訊ねると、キッチンの中にいた弟子二人は同時に振り返り、キッパリとこう言いきった。 「駄目です、カミュ。今日は絶対に何もしないで下さい」 「そうですよ。今日の主賓は貴方なのですから。本でも読みながら座って待っていて下さい」 氷河の力説と、アイザックの厳かな発言とに、強く反論出来ず、カミュは仕方なくリビングのソファに戻る。 修行時代から家事は三人で共にするのが習慣でもあった為、何もせず待っているというのは、妙に居心地が悪かった。 する事もなく手持ち無沙汰に座ったまま、カミュは視線をキッチンカウンターの方へと向けた。 カウンターごしに見えるのは、並んで晩餐の支度をする二人の弟子の背中。 氷河の作ったシチューを味見したアイザックが微笑をこぼし、頷きながら短く言葉を発すると。 その笑みが移ったように、氷河も嬉しそうに顔をほころばせた。 弟子達のその様相は、昔と大差がなく。 こうして見ていると、シベリアで修行をしていた頃に戻ったような気さえする。 だが、氷河の左の瞼に残る引き攣れたような傷跡や、再会した時よりは随分薄くなったとはいえ――海界の者達から勧められ、形成手術を受けたらしい――未だアイザックの左半面に走る古傷は、確かに流れた時間を無言のうちに語っていた。 それでも――。 弟子達の姿を眺めながら、カミュはそっと目を細め、口元に小さな微笑を浮かべた。 二度とは得られぬ、と思っていた光景が目の前にあり。 かつてそれぞれの胸中にしこりのようにあったであろう、諸々のわだかまりは、確かに失せつつあった。――その、傷の痕跡が消えていくのと比例するように。 これ以上の祝いは、なかった。 奇跡によって再び迎えることの叶った誕生の日と、それが与えてくれたこの至福を。 かみしめるように、カミュはそっと目を伏せた――。 『カミュ誕』(05年2月初出) |
すっかり忘れていたのだが、今日はオレの誕生日だったらしい。 朝起きると、まず北氷洋配属の海闘士達に「おめでとうございます」と言われた。 その後、バイアンとイオからも祝いの言葉をもらった。 言葉だけでも充分だというのに、二人はその上贈り物までくれた。バイアンは白いハーフコートを、イオはオレの目の色に合わせた深緑のセーターを。 就寝の挨拶を残し――時差のせいだ――彼らが地上に戻った後、ティータイムにはテティスがバースディ・ケーキを焼いてくれた。 ジュリアン様もわざわざ地上からお帰りになられて、祝いの言葉を下さった。 「プレゼントでも準備した方が良いかとは思ったのだけど。海将軍ばかり特別扱いしては他の皆に悪い気もしたのだ」 と、おっしゃってくれたが、オレはそのお気持ちだけで充分嬉しい。 「今日は実によき日だ」 そう言ってくれたのはクリシュナだ。“生まれてきた日”の大切さをとくとくと説いた後、彼はそう言って微笑んでくれた。 カノンはとても優しい表情で微笑んで、オレの頭を軽く撫でた。子ども扱いされているようで少し照れくさかったが、同時に嬉しくもあった。 昼過ぎに地上から帰ってきたカーサは、着替えもそこそこに祝いの言葉と共に質の良さそうな万年筆をくれた。 夕方にはソレントが祝いに来てくれた。とても手触りのいい暖かなマフラーを贈ってくれた上に、オレの好きな曲を演奏してくれる、と言ってくれた。 誕生日の日付を覚えてくれていただけでも充分なのに、と言ったら、笑って「誕生日は我侭になっていい日なんですよ」と言われた。 ソレントの演奏が終わった頃、カノンが来てこう言った。 「今晩と明日いっぱいは特別休暇だ。アクエリアスのところにでも行ってこい」 「……だが、カノン。執務に穴を開けたら皆に迷惑をかけるし……。それに、急に訪ねたりしたらカミュ先生だって……」 「心配するな。アクエリアスは了承済みだ。他の連中も同意の上だ」 「そうですよ。折角の誕生日ですからね」 二人にそう言われて、オレに反論が出来るわけがなく。 結局、カノンにテレポーテイションで聖域まで送ってもらってしまった。 ――申し訳ないくらい皆に大切にしてもらえて。オレは海将軍で良かった、と。素直にそう思えた。 『アイザック誕』(05年2月初出) |
十二宮の描く弧の中心に建つ火時計の、その足元にうっそうと茂る森の中にこぢんまんりとした建物がある。 白羊宮の足元、と言ってもいいような、十二宮に程近い位置に建てられた小さな石造りの小屋。 それが何か、といえば――。 「ムウ様ぁ、お客様だよ」 貴鬼の呼びかけに、ムウは槌を打つ手を止め、後ろを振り返った。 「おや、アフロディーテ。どうしました?」 振り返り、視界に収められたのは十二宮の最上部に守護宮を持つ魚座の黄金聖闘士の姿。 その来客の姿を認め、ムウは軽く目を見開き穏やかな口調で訪問の意を問うた。 「なに、たいした用でもない。おすそわけ、とやらに来ただけだ」 アフロディーテがそう言うと、貴鬼が嬉しげに手に持つ籠を差し出すように示してこう言った。 「香草を貰ったんですよ、ムウ様」 差し出された籠の中には、アフロディーテの手製と思しき、乾燥された香草の束が数種類入れられていた。 全身で喜色を表す弟子の様子に、ムウも目を細めて微笑み、アフロディーテに対し軽く頭を下げる。 「そうですか。わざわざありがとうございます。貴鬼、ちゃんとお礼は言いましたか?」 「もちろんだよ!」 元気よく頷く貴鬼の姿にますます笑みを深めながら、ムウは手にしていた槌を傍らの卓上に戻した。 「折角ですから、早速いただきましょうか。貴鬼。確か昨日デスマスクから貰った焼き菓子もあったでしょう? それとその香草でお茶にしましょう」 「はーい!」 弾んだ声音での返事を残し貴鬼は籠を抱えて、そのままテレポーテイションで白羊宮の私宮へと跳んでいった。 貴鬼が消えた後、アフロディーテは視線をムウに向け直し、こう言った。 「すまんな。あの子に預けてすぐに戻るつもりだったのだが――」 聖衣の墓場で野晒しになっていた聖衣の残骸はすべて聖域に運ばれ、今はこの作業所でムウの修復の手を待っていた。 その作業の邪魔をするつもりはなかったのだが、と言外に謝辞を述べるアフロディーテに、ムウは微笑んだままそっとかぶりを振った。 「いいえ。丁度休憩を入れようと思っていたところですから。さあ、行きましょうか」 多くを口にしない、態度での茶席の誘いに、アフロディーテもまた、簡素で短い言葉で応じた。 「ああ、お邪魔しよう」 『十二宮の日常』(05年3月初出) |
聖戦の後、海闘士達が現世に甦ってきてから、じきに一年が経とうとしていたある週末のこと。 海洋神殿内の、海将軍が会議室として使っている一室の中心に置かれた大きな円卓。その上で暖かな香気を漂わせているのは、五杯のドリップ・カフェと二杯のストレート・ティー。 豆にしろ茶葉にしろ、厳選されたものだけあって上品な良い香りがたち上っていた。 その円卓を囲んでいるのは、当然のことながら七人の海将軍達だ。 近頃では、海将軍達が海洋神殿内で鱗衣を着用するのは海皇臨席の会議などに限られるようになった。一般の海闘士でも、鱗衣をフル装備するのは警邏当番の時くらいだ。 復活後、海界と地上を行き来することが増えたことと、戦時ではないこととが、その理由だ。 なので、この日の彼らも平服、というか私服で集まっていた。 そして、円卓の上では揺らめく香気の合間を海将軍達の言葉が行き交っていた。 「バースディケーキはテティスが焼いてくれると言っていたからいいとして……。他にどうしたらいいと思う?」 「うむ。祝う気持ちが何よりではあるが――」 「言葉だけでは、やはり物足りないだろう?」 「難しいな。相手はジュリアン様だ。わたし達の思いつくような物は大概お持ちだろうし……」 「……やはり、手料理とか、そういったものの方がいいんじゃないか?」 「では、やはりわたしが何か一曲演奏しようか?」 熱のこもった議論が繰り広げられている所為で、各自の前に置かれたコーヒーにしろ紅茶にしろ、その存在をすっかり忘れ去られていた。 それぞれの喉を潤す役目も果たせず、折角の香気も、ただゆらゆらとカップの上を揺らめくのみだ。 「――微笑ましいねえ」 五人の論議を一歩退いた姿勢で眺めていたカーサが、口端に笑みを浮かべてぽつり、と呟く。 目前に迫った、海皇の現し身たるジュリアンの誕生日をどう祝うか、を真剣に討議する姿は、カーサが言うとおり確かに微笑ましいものだ。 目前の談議を眺めながら――年長二人は議事には参加せず、彼ら五人の出した計画を実行出来るように調整するのが役目だ、とばかりに経過を見守っている――、カノンは小さく独り言のように言葉をこぼした。 「――平和だな」 そう一言呟くと、コーヒーカップに静かに口をつけた。 『祝いの相談』(05年3月初出) |
理由、というか、名目は何であったか。 ある種惨状と化した自らの私宮、そのリビングを視線だけで見渡し――掌に包んだブランデーグラスを軽く揺らした。 カラン、と氷とグラスが硬く澄んだ音を響かせる――とは、いかなかった。 「わたしをおがみたまえ!!」 若干怪しい呂律でサイドボードに一喝するシャカ。 「ひゃふゅー、ひゃいひょひひゃー、ひょひゃはひー」 完全に崩壊したギリシャ語でけたけたと笑い転がっているミロ。 「よーし、ミロ! もっと飲め!」 そして、いつもより三割り増しの爽やかな笑顔でワインボトルを差し出すアイオロス。 その隣では、肩を抱かれる形で拘束されているアイオリアがちびちびと酒盃を傾けながら妙によどんだ空気を育成していた。 一団からテーブルを挟んで直角上に座っているアルデバランも、酒気にわずかに頬を赤らめ機嫌良さげに笑みをこぼしている。 「アルデバラン。どうぞ」 「ああ、すまんな」 その隣に座るムウの方はほとんど酔ってはいないようだが、アルデバランの上機嫌につられているのか、その微笑みに常のような裏は感じられなかった。 酔っていない、といえば、笑い転がるミロに膝を占拠されているカミュもまったく酔った気配はない。 しかし、本日のアルコール摂取量は一番の筈である。現に、今カミュが持っているグラスの中身は――ウォッカだ。 「ミロ。いい加減にしないか。呑み過ぎだろう」 「そうだな。これ以上は止めておけ」 嘆息混じりにこぼしたカミュの一言に、ムウ達とは対面する位置に座ったシュラも制止の言葉を重ねた。 「ひゃいひょーひゅ、ひゃいひょーひゅ」 何が可笑しいのか、笑いながらミロはひらひらと手を振る。 「仕方のない連中だな。デスマスク。呑むか?」 その様相に溜め息を一つこぼしてアフロディーテは、隣に座るデスマスクに開けたばかりのウィスキーボトルを差し出した。 「ああ――。サンキュ」 氷だけが残るグラスをアフロディーテの方へと差し出し――デスマスクは反対の隣に座ったサガを横目でちらりと見た。 両手でグラスを包むように持ち、ペースを変えずに呑み続けているサガは……その両目から涙を流しっぱなしにしている。 「二度とこいつらとは呑みたくねえな……」 ぼそ、と呟いたデスマスクに。 「無理だろう」 アフロディーテは無情にも言い放ち。 デスマスクのグラスを満たした酒瓶を持ち直し、ボトルから直接酒をあおったのだった。 『酒席』(05年4月初出) |
海将軍復活からはや三ヶ月。 地上との二重生活を送る海闘士達の調整も済み、聖域に対する同盟申し入れの準備も出来上がりつつあった、ある日の議場でのことだった。 「バイアン、イオ、ソレント。お前達から選ぶ方が無難だろう」 聖域に使者を送る段階に議事が進んだ時、海将軍筆頭は端的にそう言った。 カノンの発言に、目を丸くして異論を唱えたのは、名指しされた当人だった。 「え? 何故だ、カノン? こういう場合はやはり、筆頭の貴方のほうが体面上よいのではないか?」 バイアンの反論に、カノンは眉根を軽く寄せて――なんとも言いがたい口調で切り返す。 「……いきなりこの顔を晒して聖域に行ってみろ。同盟の提案どころではなくなるぞ」 「――」 カノンの言い分に、バイアンはそれ以上の反論を封じられ、他の海将軍達も微妙な表情を浮かべた。 確かに、内乱の張本人と同じ顔が海界側の使者として突然現れれば――聖域内に混乱を引き起こすことは必至である。 「では、カーサではいけないのか?」 横合いからソレントがそう問うと、カーサは肩をすくめて首を振る。 「止めといた方がいいぜ。オレは青銅のボウズ達に心証が悪いだろうからな」 「そうだろうか? リュムナデスの能力を使うな、というのはわたし達に小宇宙を使わず戦え、というのと同じだろう?」 不思議そうに首を傾げたイオに、苦笑気味に微笑んで、カーサは軽く手を振った。 「そりゃあ、味方だから言える台詞だと思うぜ」 「話し合いが進めば、オレやカーサが赴いてもよかろうが、第一陣としては不適格だ。その意味で言えば、クリシュナも適当とは言えんな」 続けたカノンの言葉に、当のクリシュナも頷く。 「うむ。己で言うのもなんだが、わたしは外交に適してはおるまい」 「だからって、お前らも最年少にまかす気はねえだろう?」 視線でアイザックを示しながら、カーサがさらに続けた。 「――すまない、役に立てなくて……」 「気にすることはない。人には得手不得手があるものだから」 申し訳なさげに項垂れるアイザックに、ジュリアンがなだめるようにそう口を開く。 「状況に合わせて、適任を割り振るのは当然だ。わたしもカノン達の判断は間違っていないと思う。大任だろうが、お願いするよ」 微笑んで告げられた“主の命”に、三人の海将軍は一瞬視線を合わせ――そして、了承を示して海皇にこうべを下げた――。 『適材適所』(05年4月初出) |
「よお、待たせたな。分かったぜ」 南氷洋の離宮にある執務室。 そこには言語講座の名目でカノンを除く海将軍達が集まっていた。 ぱたん、と、携帯電話を閉じながら、カーサは他の五人に笑みを向けた。 カーサの報告に、各自各様の反応が返ってくる。 「そうか。やはりキャンサーに訊いて正解だったな」 「直接、本人に訊けば勘付かれるだろうし――。なにせ、先日、バイアンの誕生日を祝ったばかりだから」 「彼のことだ。祝いなど無用、と答えてはくれまい」 「双子座である以上、今月か来月だということは分かるんだが……」 「で、何日だったんだ?」 バイアンの問いに、カーサは携帯を机の上に戻し、端的に答えた。 「今月の三十日だとよ」 「そうか。今月か」 納得して頷くアイザックの隣で、バイアンが軽く目を見開いて呟く。 「なんだ。わたしと同じ月か」 「だとよ。それと、タウラス。お前と一日違いだとさ」 「そうなのか? 偶然だな」 ますます目を丸くするバイアンの向かいで、ソレントが残念そうに軽く首を振った。 「先に訊いておけばよかったな。そうすれば、祝いの言葉の一つでも贈ったというのに」 「なに。今からでも遅くはあるまい? 気持ちの問題だ」 その呟きに、クリシュナが微笑とともにそう応じる。 「そうだな」 頷き微笑を返すソレントの横で、今度はイオが口を開いた。 「では、教えてくれたキャンサーには後ほど改めて礼を言うとして。X・デーも判明したことだ。本格的に準備に取り掛かろう」 「まずは、北大西洋の連中に連絡だな。月末に書類が溜まらねえように調整する必要があるからな」 カーサがその言葉に同意を示して頷けば、次は、バイアンが新たな議題を提案した。 「プレゼントは何がいいだろう?」 「そうだな……。何に対してもこだわりがない人だからな――。皆で分担を決めて服でも一式揃えてみようか?」 「うむ。サイズは副官達に訊けば分かるだろう」 「どうしても分からなかったら、サガに訊けばいいと思うぞ。見る限り、体格は変わらなさそうだ」 一ヶ月半ほど前を思い出させる様相で、それぞれなりの考えを提案しあう五人の姿に、カーサは目を細めて口端に笑みをにじませる。 そして、ひらひらと片手を振って、彼らの背を押す一言を告げた。 「軍資金なら心配はいらねえぜ。思うとおりにやってみな」 ――筆頭には極秘の祝儀計画はこうしてスタートをきった。 『極秘計画』(05年5月初出) |
「あのな。指を切るのは、まあ、まだいい。けどな、それをほったらかすか? 普通?」 溜め息混じりにそう言いながら、デスマスクは止血の為に心臓より高い位置に上げさせ、傷口を押さえていた布をそっと外す。 ばっくりと開いた切り傷は、それでも基本に忠実な手当てのおかげで血は何とか止まったようだった。 「……いや、少し……考え事をしていたから……」 デスマスクに左手をとられたまま、サガは190センチ近い長身をめいっぱい縮こませて、言い訳がましくぼそぼそと呟く。 「考え事、ねえ? 一体、何をそうも深く考えていらっしゃるのか、お伺いしてもよろしいですかねえ?」 言いながら、デスマスクは掴んでいたサガの左手をひらり、と掲げて見せた。 その手の指先には、たった今止血を終えたばかりの傷以外にも、新旧多様な幾多の切り傷が残っていた。 双児宮の私宮を訪ねたのは、たまたま些細な用向きがあっただけなのだが。 戸が開き、絶句する羽目になるとは、流石にデスマスクも思いもよらなかった。 点々と床に続く小さな血痕を掃除するのは後回しにして、取り敢えず包丁で切ったらしい指先の止血を優先したわけだが。 その間、手当てするデスマスクの口調がお説教がましくなったのは仕方がないことだろう。 デスマスクの言い分に、反論の余地もなく、サガはますます肩をすくめるしかなかった。 はあ。 大きく溜め息をついて、デスマスクは一番新しい傷のついた指先に絆創膏を貼り始めた。 「サガ。明日から飯はオレんトコに来い。包丁の握り方からきっちり教えてやる」 「……いや、そんな迷惑をかけるわけには……」 嘆息交じりのデスマスクの提言に、小声で続けようとしたサガの断りの言は、即座に返ってきた反論によって音声の形をとることはなかった。 「黄金聖闘士が包丁で指切り落とした、なんて情けないこと、オレは御免だぜ」 そう言って、デスマスクはいまだ掴んだままの左手を視線で示す。 その指先に残る切り傷は、サガの反論を封じ込めるには充分な“証拠”だった――。 『巨蟹宮料理教室・序』(05年5月初出) |
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