disruption of a miniature garden
 ――六歳になるまで、世界とは、己と、己の双子の片割れと。そして、己を育て教えた人だけだった。



「――ダメだよ、あぶないよ」
「大丈夫だって。ほら、おいでよ」

 梢の揺れる音にまぎれるように。
 幼い子供の声が森の空気に溶けていく。
 まだ性別の現れていないその声音は、同一の人間が語調だけ変えて紡いでいるかのように、ひどく似通っていた。
「でも……やっぱり、そんなに上に行ったらあぶないよ。だって、こんなに枝が細いのに……」
 一方は、困ったような、途方にくれたような、戸惑いを宿し。
「大丈夫だって。心ぱい性なんだから」
 もう一方は、朗らかな笑みさえにじませていた。
 くすくすと、こぼれる笑い声は、木の葉が揺れる音と共に少しずつ上へと上がっていく。
 そして、わずかに遅れて、小さく――躊躇いがちに、梢が再び揺れた。
 カサカサと。
 揺れる梢の動きと木の葉が立てる音とは、少しずつ大樹の頂上へと近付いていき――ある地点で、不意に止まった。
 わずかな間を置いて、カサリ、という音と共に、緑の葉々の合間から白い幼い手が伸びた。
 幼い手は、茂った葉や細い枝を掻き分け――そして、枝葉の隙間から、白い笑顔がこぼれるように現れた。
 視界を邪魔していた枝葉を掻き分け作った隙間から、臨んだ遠景を見わたして、小さな白い顔は満足げに微笑み――傍らを振り返った。
「ほらな。やっぱり上までのぼった方がよかっただろう?」
 満面の笑顔で振り返った傍らには、小さく微笑む、同じ様に幼い童の顔があった。
 明朗な笑みを向けられ、もう一つの幼い白い顔も、小さく微笑んで、こくり、と頷く。
 その、二つの幼い顔は、浮かべる笑みこそ違ったが――造作は、まるで鏡で映したように似通っていた。
 同じ色を宿す、二対の双眸を互いに見つめ返し――それから、どちらともなく、眼下の遠景へと眼差しを向けた。
「アタランテはまだかな?」
 視線を景色へと投げかけながら、一方が朗らかに笑って呟くと、もう一方は小さく首を傾げて、控え目に応える。
「今日は“とくべつのご用”だっていってたから、きっとまだだよ」
 話題に上った名の持ち主は、二人を赤子の頃から育てた人物だった。
 生まれて間もない頃から二人を育てた“養母”であり。
 幾多の事柄を教え導いた“師”でもある。
 そして。
「アタランテ、早くかえってくるといいね」
「うん――。早くかえってくるといいね」
 よく似通った二つの声が、同じ言葉をつむぐ。
 小さな子供が、親の帰りを待ちわびるその言葉は、至極ありふれたものではあるのだけれど。
 二つの幼い声音には、それ以上に切なる響きを内包していた。
 何故なら、養い親は、幼子にとって、互い以外に“世界”に存在する“人”でもあったからだ。――二人は、互いとその人以外の“人間”を、長く知らずに育ったのだ。
「“とくべつのご用”のときは、中々かえってこないから、つまらないよな」
「うん……」
 面白くなさそうな響きもあらわに、片方がそう言えば。
 躊躇いがちに、けろど、寂しげな響きを隠さず、もう一方も同意を示す。
「めんどうだけど、いっしょにいられる分、町に出かけるときのほうがいいな」
「――カノンは、そうなの?」
「サガは、ちがうのか?」
 控え目に問う言葉に、不思議そうに訊き返す。
 反問に、少し考えるように沈黙し……それから、ぽつり、と言葉をこぼした。
「…………ぼくは、町はにが手だな――」
 困ったように眦を下げて、呟かれた言葉に、片割れ――カノンは、軽く首を傾げてこう応えた。
「そりゃあ、めんどうだけど、まってるだけよりは、ずっといいよ」

 六歳の誕生日を迎えた後から。
 時々、“養母”は二人を町へと連れて出かけるようになった。
 それまでは、ずっと周囲には何もない山の中で暮らしていた双子にとって、町は物珍しい場所ではあった。
 連れて行かれるのは、大方、小さな古びた町ばかりだったが、周囲に他の家屋などない環境で育った双子には、家々が立ち並ぶ光景だけでも充分好奇の対象になりえた。
 それに、それまでは、互いと養い親以外の“人間”を見たこともなかったのだ。
 目立たぬように、と言われて町の子供と同じ様ないでたちをするのも、何か特別なことのようで気持ちが高揚した。
 だから、町へ出かけることは嫌いではなかった。
 けれど。
 町に連れて行かれる時は、彼女は双子に同じほどの年頃の子供達が集まるような場所に連れて行く。
 そして、町の子供と接するように、と言いつけられるのが常だった。
 ――己や互い以外の“他人”と接することは、後々必要なことだから。と。
 だが、双子にとって、それは、とても面倒なことだった。
 歩くより少し早いくらいにしか走ってはいけない。――光のように速く駆ける足を持っているのに。
 物を掴む時は、触れる程度の力で持たなければいけない。――金剛石であろうと砕く腕を持っているのに。
 町の子供と同じ様に振舞うのは、とても面倒で制約が多くて――双子にとっては逆に疲れるのだ。
 確かに、町の子供は自分達の知らないことを教えてくれることもあるけれど。
 それとは逆に、自分達が知っていることで町の子供が知らないこともあるのだ。
 それに。
 養母は、双子を同じ町には二度と連れては行かなかった。
 町の子供達と遊べ、と言いつけるのに、一度だけで二度とは会わせない理由が、幼い二人には見当もつかず。
 だから、養母の言いつけの意図がよく理解出来なかった。

「あ!」
 不意に。
 視界の隅に認めた人影に、幼子は眼を輝かせて声を上げた。
「かえってきた!」
「ほんとうだ!」
 遠くに養い親の姿を認め、二人は声を弾ませる。
「アタランテ!」
 幹を伝い下りるのも面倒で、先まで腰掛けていた枝からまず、カノンが飛び出した。
 枝から枝へと跳ね下りていく双子の片割れの背を、サガも慌てて追った。
 十歳にも満たない子供とは思えぬ身のこなしで、枝を飛び石代わりに上方から舞い降りてきた二つの小さな影に、養い親は立ち止まり顔をあげた。
「おかえり、アタランテ」
「おかえりなさい」
 着地の音も軽く地に降り立つと、二人の子供はそのまま養い親の側へと駆け寄る。
 そのまま養い親に抱きつけば、体の所々を覆う固い感触がした。
 硬い、白っぽいものを手足や頭、肩や胸につけ。
 襟を立てた外套をまとい。
 そして、顔中を覆う仮面をかぶる。
 “特別の用”の時は、養い親はいつもこのいでたちだった。
 常と変わらぬいでたちと。
 いつもどおりの出迎えの光景だった。――その時までは。
「アタランテ?」
 いつもならば、抱きついてきた二人の養い子を揃って抱き返す養母が、今日は何故か二人の背に手を伸ばそうとしなかった。
 常とは違う気配を敏感に察し、双子は、どちらともなく顔を上げ、養い親の顔を見上げた。
 仮面越しでも、六年以上共に暮らしてきた相手だ。
 見えなくても、分かるものもあった。
 ――養母の様子は、明らかにおかしいと。
 もっとも、どうおかしいのか、ということを――己の感じたものを、言葉にするには、年の足りなさゆえにまだ語彙が不足していた。だから、感覚としてしか、それを感じ取ることは出来なかったが。
 それでも。
 ひやり、と背筋の冷えるような“なにか”は感じ取れた。――それを、大人ひとは“悪い予感”と言うのだと。カノンもサガも、幼さゆえにまだ知らなかった。
 不安げに、養い親を見上げていると、養母は無言のまま膝を折った。
 そのまま上体を落とし、細い両腕を双子の肩に回すと、そっと二人の養い子を抱き寄せる。
「……アタランテ?」
「どうか、したの?」
 抱き締められた体勢のまま、双子は左右それぞれから養い親に問いかけるが、彼女は黙したまま――強く養い子を抱き締めるばかりだった。



 ――六歳になるまで。世界とは、双子である互いの存在と。そして、己を育て教えた人の存在があるだけだった。



 ――大切な用事があるから、夜になったら出掛けるよ。
 隠しても隠し切れぬ重苦しさを声音ににじませ、養い親がようやく言葉にしたのは、端的なそんな一言だけだった。
 どんな用なのか、とか。
 どうしてわざわざ夜になってから出掛けるのか、とか。
 幼い双子が覚えた当然の疑問にも、養い親は結局答えてはくれなかった。
 その代わり、暗くなってから出掛けるから、と言われ、それまで少し眠りなさい、と寝台に入れられた。――もっとも、何とも言い難い居心地の悪さと、不安とに、結局一睡も出来はしなかったが。
 夜も更け、闇が周囲に舞い降りた頃。養い親は双子を裾の長い服に着替えさせ、その上に頭から外套を着せ掛け、二人の手をそれぞれ引いて家を後にした。
 木立に隠れるように山中を進んだ時間は、短くはなかった。
 通常ならば、七歳になるやならずの子供の足には楽ではない距離だろう。だが、サガもカノンもその年頃の子供の平均値を遥かに凌駕する健脚だった。――そのように、育てられていた。
 進むうちに、木々は徐々にその数を減らしていき、その代わりのように、乱立する白い柱が、かすかな星明りを受けてぼんやりと垣間見えた。
 新月の闇の中にひっそりと佇む、見慣れない光景に、サガは居心地悪げに己の手を引く養い親の手をぎゅ、と握り締め、カノンは物珍しげに周囲にきょろきょろと視線を巡らせる。
 地面は土の部分はあまりなく、ほとんどがひびの入った石畳と石階段で覆われていた。
 周囲に乱立する、大きく太い、白い石の柱は、その上部に崩れ落ちた屋根の一部を残し、元は柱だけでそこに立っていたのではなく、何かの建造物の一部であったことをうかがわせた。
 天井や壁を失ったばかりでなく、柱そのものも横倒しに倒れているものもあった。
 立ったままの姿を残す柱も、細かなひび割れがあり、周囲の瓦礫とあいまって、廃墟じみた気配が色濃く見える。
 もっとも、まだ、カノンは“廃墟”という言葉は知らなかったが、侘しげなこの場所にあまり良い印象は受けなかった。
 本能的に、好ましくない何か、を感じてならなかった。
 おそらく、養い親が手を引いていなければ、この手を振り払ってこの場から走り去ることを選ぶだろう。
 どこかしら暗澹とした心持ちになり、周囲に目を向けるのを止めると、その内に、今度は長く大きな石階段を上り始めた。門の代わりのように、Πパイの字に並ぶ数本の柱の間をくぐり、更に続く階段を手を引かれるままに上がっていく。
 その階段を上がるにつれ、先から感じる好ましからぬ雰囲気とは異なる感覚を覚える。一歩ずつ進むにつれ、知覚が冴えるような――不思議な何かを感じた。
 その所為だろうか、少し気持ちの上で余裕のようなものが出、また回りに目を向ける気になる。何気なく、傍らの崖になった方向へと視線を向けると、その先に大きな長細く四角い影がそそり立っているのが見えた。
 闇に紛れ、星明りだけではその詳細を見出すことは叶わぬけれど、それが驚くほど大きなものであることは分かった。
 あれは、なに、と。
 問おうと、手を引き前を行く養い親の背中に視線を戻して。
 その背の先の、夜陰に浮かぶ大きな建物に目を見張った。
 見上げるほどに大きなそれは、大人でも抱えきれぬような太い石の柱と、直方体に整えられた石が積まれた壁とで構築されていた。
 ちらり、と、傍らを見れば、サガも驚いたような表情でそれを見上げていた。そして、カノンの視線に気付いて目線を返してきたので、カノンが笑い返すとサガも小さく微笑んだ。
 周囲の光景が持つ雰囲気は先までと大差なかったが、何故かこの場所には好ましくないものは感じなかった。その感覚は、二つ目の建物にさしかかった時に更に強まった。
 そうして、階段を上がり続け、あわせて十一の建物を通り抜けると、その先には今までのものよりも大きな建物が現れた。
 養い親に手を引かれるままに、その建物の中に入ると、そこには今までのものとは異なるものがあった。
 それまでの十一の建物は、柱と石壁以外には何もない、閑散とした空虚な内部だったが、おそらく最後の建物と思われるここは、通路らしき内装を設え、その先には両開きの扉まで備えられていた。
 双子の手を引き、ここまで連れてきた養い親は、その扉の前に立つと、握っていた双子のそれぞれの手を放し、その扉に手を添え――戸を押し開いた。
 扉が開いた先には、石畳の上に織物が長く敷かれ、その先――部屋の奥には緞帳が幾重にも垂らされていた。そして、その緞帳を背に、数段高くなった位置に一脚の椅子が置かれており、そこに座る人影がひとつあった。
 身体つきの判別がつかぬゆったりとした長衣をまとい、頭部に被るなにやら飾りのついた被りものの陰影で顔立ちの判別もつかない。

 ――短くはない距離を隔てていたが。
 その人影を認めた瞬間、カノンはそれまでに感じたものとは別の――そして、それ以上の、本能的な忌避を感じた。
 それは、サガも同様だったのか。養い親を挟んで二人が立ち止まっていると、双子それぞれの背に養い親の手が入室を促すように添えられた。
 その手に押されるままに、数歩足を進めると、突然、背後で扉が戸を閉ざした。誰も触れていない筈なのに、閉じた戸にも薄気味悪さを感じながら、双子は養い親に背を押されるままに、織物の上を歩み進まされた。
 そして、段差の十歩ほど手前に行き着くと、養い親は双子の背から手を放した。そして、二人より一、二歩進んだ場所で立ち止まり――養い親はその場にゆっくりと膝を折った。
 跪き、こうべをたれ、養い親は――長の行程、一言も開くことがなかった――口を開き、低く、言葉をつむいだ。
「お召しにより、梟座ノクスのアタランテ、参上仕りました」
「――うむ」
 養い親の言上に、段上の椅子に座る人物は短く応じ頷いた。その発した声音で、ようやくその人物が老人であると察せられた。

 養い親と、段上の老人と。
 和やかさなど欠片もない大人達の空気に、双子は居心地悪げに一歩退き――互いに触れ合える距離に身をおいた。
 すると。
 椅子に身を預けたまま、その老人は、ゆっくりと視線を巡らせ――養い親の後ろに立ち尽くす、カノンとサガ、それぞれを見た。
 その視線に。カノンはぞくり、と背筋に冷たいものが這い上がるような感覚をおぼえた。
 ひやり、と冴えた――検分するかのような、怜悧な眼差し。
 まるで、腑分けでもされているかのような――何もかもを見通そうと望む、その視線。
 感情のない、何か、人間とは異なる存在と対峙しているような……そんな重苦しさが、周囲の空気を侵食していくのが分かる。
 その、得体の知れない何かに、ぞっと、背筋が冷えた。
 それは、サガも同様であったらしく、傍らで、怯えたように一歩退く気配を感じた。
 ――恐ろしいと。不気味だと。
 カノンも、感じなかったわけではなかったが、同時に、違う感情もわきあがっていた。
 反射的に、感じたのだ。
 目を逸らしては――退いてはいけないと。
 そう思った次の瞬間、カノンは、身を引きかけたサガと老人との間に立ち、段上の相手に真っ直ぐに視線を向き返していた。

 ――今はまだ、抗することは出来ないと、
正面から対することは得策ではないと、
脳裏の奥でかすかに警告があがる。
 けれど、同時に、のまれてはいけないと、
怯んではいけないと、
心の深奥からそう告げる声もあった。

 真っ直ぐに顔をあげ、老人の視線に対するように見返すカノンの行動を、見ずとも気配で察したのか。双子の前に跪く養い親の背がわずかに強張った。
 しばらくの間。空気も止まったかと思うほどの緊迫が静寂と共にその場を支配した。
 時さえ止まったかと錯覚するほどの一時は。
 ゆっくりと口を開いた老人の一言によって崩された。

「――それが、弟だな。梟座よ」

「――――は……」
 低く、静かな問いかけに、養い親は搾り出すように一言答え、更に深く頭を下げた。
 下げた養い親のこうべには一瞥も与えず、老人は双子をじっくりと観察するかのように、二人を眺め見た。
 気が済んだのか、あるいは眼差しによる監査が終わったのか。時間をかけ双子を検分していた老人は、視線は双子の固定したままでゆったりと言葉をつむいだ。
「――まだ幼いが――いずれも小宇宙はよく鍛えられておる。大儀であった」
「――――おそれ、いります……」
 感情をほとんど出さず、老人が告げる言葉に、養い親は低頭したまま短く恐縮の言を搾り出す。
「――だが」
 抑揚の少ない、老人の声音が静寂の室内に降り続ける。
 一言ごとに、周囲の空気が孕む緊迫が増していき、息苦しささえ感じた。
「その者らの存在は秘中の秘。二人共にある姿を覚えられるわけにはいかぬ」
 老人が告げた言葉に、前に跪く養い親が息を呑む気配がした。
「梟座よ。七年近くもの間、双子座の次代を育て上げ、実に大儀であった」
 感情の起伏を見せず、老人は更に言葉を続けた。
「されど、双子座の次代が二人存在することを公に知られるわけにはいかぬ」
 老人がそう告げた瞬間、こうべを垂れたままの養い親の肩がびくり、と震える。
「この後は、その二人は我が監視下におくこととする」
 そして。
 すべてを決定付ける一言を、口にしたのだった。

「この教皇宮の足元には、何人も知りえぬ隠し屋がある。二人ともにそこに移し、聖衣を与えるまで、我が許可を与えた者以外とは接することを禁ずる。よいな」

「……教皇……っ!」
 告げられた言葉に。
 養い親は弾かれたように顔をあげ、悲鳴にも似た声を発した。それは、どこか赦しを請うような――切迫さを感じさせるような、そんな叫びだった。
 しかし。
 養い親がそれ以上言葉をつむぐことを禁ずるかのように、老人は抑揚の薄い声音でゆっくりとこう告げた。
「否やは、許さぬ――」
 ただ、一言だった。
 低く静かなその一言は、けれど圧倒的な威圧感をもって、その場に覆い被さり――養い親の言葉ばかりか動きさえ、封じ込めてしまった。
 膝を突き段上を見上げたままの姿勢で身動ぎも出来ない養い親に、段上の老人は、それ以上語る言葉はないとばかりに椅子から立ち上がると、長衣をひるがえし、そのまま背後の緞帳の奥に立ち去ってしまった。

 それを合図にしたように。
 横手の壁に設えられた出入り口から、数人の男達が姿を現した。
 そして、そそくさと双子の側に取り囲むように近付くと、端的についてくるようにと促した。
 その、男達の態度は、口ぶりは丁寧でも所作は強引で、決して好感が持てるものではなかった。――後に、そういった態度は慇懃というのだと知ったが。
 ――嫌だと、思った。
 サガを背で庇うように寄り添いながら、全身で男達を拒絶したが、結局、大人と子供とでは、その拒否も完遂出来るものではなかった。
 養い親に救いを求めるように視線を向けても。養い親は悲嘆をまといながら、ただ拳を握り締めるだけで――助けてはくれなかった。

 ――――その当時のカノンに解ったことは。
 かの老人の言葉に逆らえる者は誰もいないのだと――そして、自分達の命運はその老人に握られているのだと。
 ただ、それだけだった…………。



 六歳になるまでは、世界とは、己と双子の片割れと、師であり養母であった人だけだった。
 六歳になって、枠の外にも世界があると知った。
 七歳になる頃に、外の世界に接することを禁じられた。
 八歳になった年に、双子の片割れが聖衣を与えられた。
 そして。
 十歳の時に、養母であり師であった人が死んだ。
 それから、兄とは少しずつ互いに語る言葉が絶えていき――。
 そうして、十五の年に、完全な決裂が訪れた――――。





 ――――ゆっくりと。
 瞼を開けば、この十三年で見慣れた天井が視界を覆う。
 ここは。
 水底にある、白亜の神殿。――海皇の、海洋神殿。
「――――随分と……昔の夢を」
 嘲笑気味に口角を上げ、カノンは寝台の上で上体を起こした。

 あれは、七歳の誕生日を迎えたか――迎える直前か、そのくらいの時期のことだ。
 それ以前は、自分と養母と双子の片割れだけで完結していた狭い世界で暮らしていた。
 だから、何も解らずにいたのだ。
 自分達が、最初から聖闘士にされる為に育てられていたことも。
 “二人の双子座”という事実が周囲にどのように見られていたか、ということも。
 隔離され、区別されても、それが何故なのか、分からなかった。――いや、実際は、今でも解ってはいないのだろう。
 望んで、双子座の宿星を持って生まれたわけではない。
 だというのに、何故、聖闘士として生きることを強要されなければならなかったのか。
 何故、己が影とならなければならなかったのか。
 何故、隠されねばならなかったのか。
 何故――。
 成長と共に、当然覚えた疑問と疑惑の数々。
 そして、時が流れるにつれ、寄り添えなくなった双子の片割れ。
 “双子座の黄金聖闘士”になったサガは、少しずつ――だが確実に――おそらくは教皇の望むとおりに変わっていった。
 教皇の命に背かず。聖域の先例に違わず。何も考えず、ただ、“聖闘士としての指標”に従い振舞うだけの操り人形。
 “黄金聖闘士らしく”なっていくサガの姿は、カノンには、そうとしか見えなかった。
 理不尽でしかない宿命も、掟も、逆らわず従うべきだ。従わなければならない、と。そう語るようになった兄と心を寄り添わせることなど、どうして出来ようか。
 押し付けられたもののすべてが理不尽であり――だからこそ、反発した。
 その結果が。
 この水底に、海闘士として――シードラゴンの海将軍として存在する自身らしい。
 しかし、それすらも“真”ではないわけだ。

 自嘲にも似た笑みをこぼして、カノンは寝台から下りる。
 一歩、足を進めて――不意に、昨夕のことを思い出した。
 唐突に――一瞬、左の胸に走った、あの激痛を。
 くい、と夜着の襟元を引っ張り、左胸を眺めてみるが、特におかしい点は見当たらない。
 痛みも感じず、不調も異常もないようだ。
 さて、あれは何だったのだろう、と疑念に軽く眉をひそめ、小さく首をかしげていると。
「――シードラゴン様、お目覚めでいらっしゃいますか?」
 扉越し、控えめに声があがった。
「――ムハンマドか」
 呼びかけに顔を上げ――扉の方向へと視線を向ける。
 そして、その声の主――戸の向こうに控える己の部下の名を呟くことで、カノンは相手の問いに肯定を示した。
「お休みのところ、申し訳ありません」
 応答に、返ってきたのは謝辞を告げる言葉。
 早朝の訪問を――あるいは、他者の寝室に押し入ることを無礼と思ってか、部下はあくまで扉を開けようとはしない。
 その律儀さに、小さく苦笑をこぼす。
「構わん。丁度、つい先刻目が覚めたところだ。――何かあったのか?」
 けれど、苦笑は声音には乗せずに、カノンは配下に用向きを問うた。
 短い問いに返ってきたのは、簡潔な返答だった。
「リュムナデス様がおいでになられました」
 海将軍の一人の訪問を告げられ、カノンは軽く眉根を寄せる。
 わざわざ、こんな早い時間に訪ねて来ずとも、毎日職務の都合で顔を合わせる相手だ。
 それが、時を惜しむように、足を運ぶ労をおかした、ということは……。
「急ぎ、ご報告したい事柄があるとおっしゃられ、執務室にてお待ちです」
 カノンの脳内で結論が言語化されるより早く、予測通りの言葉が扉の向こうから告げられた。
「分かった。すぐに行く」
 短く、そして簡潔に即答を返せば、扉越しに首肯する気配が感じられた。
「は。では、リュムナデス様には、シードラゴン様は着替えを済まされ次第、すぐにおいでになられます、とお伝えしておきます」
 その言葉の後、一瞬間をおいて遠ざかっていく、踵が床を叩くかすかな音が響く。
 足音と、扉の前から離れていく部下の小宇宙で、彼がその場を下がったことはすぐに知れた。
 それを感じながら、カノンは軽く眉間に皺寄せた。
 ――何があった?
 リュムナデスの早朝の訪問に、当然わく疑問だった。
 少なくとも、こんな時間に、こんな風に突然に訪ねて来たことは、この一年――彼が海界に来てから――一度もなかった。
 何かがあったことだけは間違いがない。
 ……おそらくは、非常の事態が。
 いくつかの予測とその対策を脳裏に描きながら、カノンは夜着の襟元に手をかけた。



 ――――そこにいるのは、“双子座の影”ではなく……“海将軍筆頭の海龍シードラゴン”だと。
 そのことを、まだ、彼自身だけが知らなかった。






2006年長月下旬

さな さまのリクエストで「カノンの幼少の頃のカワイソ話」。
大変お待たせして申し訳ありません(汗) リクを頂いたのが何時かなんて、とても確認出来ません(冷汗)
シオンの登場するくだりで七転八倒していた為、終わりの部分の方が先に書きあがっていたという……(苦笑)
本当に、土下座して謝るしかありません、お待たせして、本当に申し訳ないです;
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