×月△日 今日は、ひいおじいさまのところに、ヘラおばさまがおいででした。 エイレイテュイアねえさまと、アレスにいさまと、ヘベもごいっしょでした。 ヘラおばさまは、テティスおばさまにお会いにこられたのでした。 ぼくも、ペンテシキュメねえさまに、ひいおじいさまのところへつれて行ってもらいました。 そして、エイレイテュイアねえさまたちに、あそんでいただきました。 エイレイテュイアねえさまとペンテシキュメねえさまは、ぼくにも、へべと同じに、きれいないしょうと、かわいいかざりをつけてくれました。 あとで、とうさまも、とってもかわいいと、ほめて下さいました。 そして、ねえさまたちは、アレスにいさまにも、ねえさまたちと同じに、きれいないしょうと、きれいなかざりをつけてあげてました。それから、おばさまたちがしているように、おけしょうもしてあげていました。 アレスにいさまは、とってもおきれいでした。 とうさまも、かあさまやヘラおばさまの次にきれいだと、ほめていました。 かあさまも、おばさまたちも、ひいおばあさまも、みんな、アレスにいさまはとってもきれいだとほめていました。 でも、アレスにいさまは泣いていました。 アレスにいさまを泣かしたのは、とうさまだとおもわれて、とうさまはヘラおばさまにおこられていました。 アレスにいさま、どうして泣いてしまったのでしょう? 『神代の日常・番外編〜ちびトリトン日記〜』(07年7月初出) |
――娘と息子を迎えに、妻ともども大洋の館を訪ねたポセイドンは、そこで思いもがけないものを見ることとなったのだった。 愛しい妻は、祖父の館に住まう姉妹とヘラとの語らいに加わり、無聊の内に放たれてしまったポセイドンは、子らが遊んでいる部屋へと足を向けてみた。 何の気なく、娘と息子が甥と姪達と共にいると聞いた部屋を覗き込み……そこでポセイドンは目を丸くして首を横に傾いだ。 1、2、3、……4、5。 はて? 室内にいる少女の数を指折り数え、ポセイドンは首を傾げる。 そこにいたのは、黒髪も艶やかな絶世の美少女が五柱。正確には、三柱が少女と呼ばれる年頃で、二柱は童女あるいは幼女と呼ばれる年頃だった。 さて、姉の娘は二柱、我が娘は一柱だった筈だが……? 数が合わないことを不思議に思いながら、もう一度じっくり見返していると、その内の一柱が小さな足を一生懸命動かして、ぽてぽてと駆け寄ってきた。 「とうさま〜」 愛らしく笑みながら、ぽよん、とポセイドンの足に抱きついてきた幼子の声音は、聞き覚えのあるもので。 にこにこと笑う幼い顔は、己と、我が妻と、その双方の面影を宿しており、あり過ぎるほどに見覚えのあるものだった。 「……トリトン、か?」 驚きに目を見張りながら息子の名を呼べば、父親譲りの黒髪を綺麗に梳かれ、珊瑚の飾りで可愛らしく飾られた童女は、こぼれるように笑って、父親に両の腕を伸ばした。 ほとんど条件反射でそれに応えてその幼子を抱き上げて――ポセイドンは大きく目を見開いてまじまじと腕に抱いた童女を凝視した。 見慣れぬ装束に身を包んではいたが、その愛らしい童女は間違いなく、我が息子だった。 満面に笑みを浮かべて、それはそれは可愛らしく首を傾げる童女姿の息子は……親の欲目を引いても、非常に愛らしく将来楽しみな麗しさだ。 成長後は超絶美少女、の保障付きの愛らしさで笑う息子に、思わずポセイドンもつられて微笑む。 「どうした、トリトン。随分可愛らしい姿をしているではないか」 ふわり、と微笑んだ父親に、息子も嬉しそうに笑みを深めて、見慣れぬ姿の所以をとつとつと語った。 「ねえさまたちがしてくれたの」 姉と従姉の悪戯だと、それと知らずに語る息子に、失笑半分、微笑ましさ半分で、ポセイドンは頷く。 「そうか……。似合うぞ、トリトン。実に可愛らしい」 褒められて――それが少年にとって褒め言葉かどうかはさておき――、トリトンは嬉しそうに笑って、父親の首に抱きついた。 「……と、いうことは……」 美少女に飾られた息子を抱き上げながら、ポセイドンは娘と姪の一団へと視線を転じた。 母親であるヘラによく似た美貌に見た目の年よりも落ち着いた雰囲気を纏う少女はエイレイテュイア。 アンピトリテに似た目鼻立ちとポセイドンと同じ紺青の双眸を持つ少女はペンテシキュメ。 母親そのままの顔立ちを持ち、まろやかな空気に包まれた愛らしい童女はヘベ。 では。 艶やかな黒髪はかもじを足されたらしく長く垂らされており。切れ長の目元は長い睫に縁取られ、その中心には濡れたような漆黒の瞳がはめ込まれていた。きりり、とした口元には紅を差され、真珠の飾りをさりげなく配された、ヘラそっくりの容貌を持つ、誰もが認める美貌の少女は……。 「そちらはアレスか?」 ほぼ間違いないであろう推測を口にすれば。 少女の頃の母親に瓜二つの美少女に飾られた少年――とてもそうは見えないが――は、麗しい顔を強張らせた。……それでも美しいと思えるところも、眦吊り上げ怒った顔すら美しい母親にそっくりだった。 「驚いたな。確かに男にしておくのは勿体無い美形だとは思っていたが……」 しみじみと、感嘆の言葉を呟くポセイドンに、甥はいっそう顔を強張らせ、ぴくぴくとこめかみを振るわせる。 「可愛いぞ、アレス」 きっぱりはっきり断言したポセイドンに。 「叔父上の、馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!!」 激情に打ち震える罵声が投げつけられた。 「!? 何を怒るのだ、アレス? 心配するな、今のお前は姉上と我が妻に次いで美しいぞ!」 大真面目に的外れの保障をするポセイドンの発言は、当然ながら逆効果で。 「叔父上なんか、大っ嫌いだあぁぁぁ!!」 半泣きの絶叫が、大洋神の館に木霊したのだった。 『ちびトリトン日記〜海皇サイド〜』(07年7月初出) |
「……」 「――」 「…………」 「――――」 「……アレス……」 「――」 「……」 奇妙に重苦しい空気がその場に停滞していた。 冥府の神殿、その片隅で。 膝を抱えて座り込む少年神の背を見つめながら、冥王は途方にくれていた。 ――数刻前、突然に冥府を訪れた甥は、冥王の神殿に足を踏み入れてから今まで一言も口をきいてはいない。 ゆえに、一体、何事があってこのような仕儀になったのか、ハーデスには皆目検討もつかなかった。 「……アレス……。一体、何があったのだ?」 言葉を選び考え――結局、出てきたのは、そんな平凡な問いかけで。 しかし、当の甥は抱えた膝に額を押し当て、押し黙ったままだ。 そして、ハーデスは戸惑いを双眸に揺らしながら、言葉を失う。 何があって、冥府にやってきて、こうも落ち込んでいるのか。 何も分からぬからこそ、ハーデスはただただ困惑するしかなかった。 分かっていることは、ただひとつ。 それは、冥府へ現れたアレスが最初に、たった一言こぼした言葉。 『――ポセイドン叔父上なんか、大ッキライだ……っ』 不穏なその一言は、やけにハーデスの胸に引っ掛かってならず。 ゆえに、ハーデスとしては何があったのか、聞き出したくてならいのだが。 こういう態度に出られると、どう相対すればいいのか、対処の仕様がない。 一体どうすればよいのやら。 困り果てるハーデスを。 少し離れたところから、その従神達も戸惑いがちに見守っていた――。 ――ハーデスが。 甥の出奔の原因となった海界での出来事と、弟たる海皇の失言を知るのは、もう少し後のこと。 『ちびトリトン日記〜冥王サイド〜』(08年1月初出) |
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