花冷
 世に西二条邸と呼ばれる邸宅は現関白のやしきであり、ただ今は院――今上の同母兄であられる――の正妃である藤壺皇后が懐妊して里下がりをしていた。
 藤壺皇后が院の姫宮を無事出産し、姫宮の誕生の祝いで何かと慌ただしい日々が巡る二条の邸に、関白師成卿の叔父にあたる内大臣匡興卿が訪ねたこと自体はごく当然の成り行きの結果であったが、彼がその人を見出したのは当たり前とは言い難い状況であった。
「…………兄君様?」
 東の対の屋、その庇にすべり出て刺すような冷えた空気の中、冬の庭に何気なく視線を向けた匡興は、そこに思いもがけない人の姿を見ることとなった。
 簡素な墨染の装束に身を包み、老いた身ながらも背筋を伸ばして凛と佇む僧形の男は、美しく整えられた椿の庭木たちから己を呼んだ声の方へと視線を転じ――、そして皺のよった口端を持ち上げ不敵に笑った。
「おお、高倉の弟か。息災そうで何よりよ」
 老齢ながらも張りのある声音で呼び返され、匡興は呆然と立ちすくむ。それを見やり、老僧は目を細め愉しそうに言葉を続けた。
「どうした。幽鬼に遭っおうたとでも思ったか」
 くつくつと喉奥を鳴らして笑う老僧の言葉に、匡興は慌てて首を横に打ち振った。確かに目前の相手は匡興より二十と少し年齢としが離れており、召されているほうが自然というべき年頃ではある。だが、何より驚いたのは、文字通り俗世を捨て世情から脱した相手が関白の本邸という世俗の只中ともいうべき場所にいることのほうだ。
「いえ、そのような……。兄君様がお山の庵から下りておいでであったとはつゆ知らず……」
 兄。といっても、匡興にとってこの相手は決して気安く馴染んだ相手ではなかった。そもそも匡興と彼の同母姉である式部卿宮の正室允子は、世に西の大臣おとどと呼ばれていた人物の庶出子である。だが、匡興がまだ母の胎にいた頃に彼らの母親と西の大臣は夜離よがれしていた。その理由というのは実に俗なものだ。匡興らの母は当時の春宮の乳母子であったのだが、その方が御位につくことなく早世なされたのである。故に西の大臣にとって彼女は政治的に用済みと断じられ通う足があっさりと途絶えた。匡興らの母も西の大臣の対応にほとほと呆れ果て、別の男と早々に縁を結んでそちらと一男一女をもうけた。が、匡興とその姉が元服や裳着の年頃を迎え、先々の後見を考えた母は、子らの実父に親の義務としての後見を求めた。その段に至って匡興は初めて実父と対面したのである。
 そして、目前の兄だが、彼も西の大臣の庶子である。こちらは当時宮中で広く人脈を築いていた女官が生母なのだが、まだ嫡出の子が生まれていなかった為、幼い頃に実父の邸に迎え入れられたそうだ。後に嫡出の弟妹が生まれ、その弟が元服を迎えた時その妨げとなることを厭うてか、長兄は誰も止める間もなく髪を下ろし出家したのだそうだ。
 よって、匡興が元服した頃には既に世を捨てていた長兄は、異母兄弟きょうだいといっても顔を会わせる機会も稀な相手であった。
「ふむ。儂とてもはや俗世に関わる気など無かったが、師成が我が娘の為に山を下りぬかとうるそうてな」
「師成殿が……?」
「若宮誕生の加持祈祷ならば他を頼めと言うところだが……」
 彼らの甥にあたる現関白の名に匡興がわずかに目を見開いて首を傾げれば、長兄は口角を上げ目を細め愉しげに喉を鳴らして笑う。
「師成は肝が太おて良い。神仏の領域に頼まねばまつりごとを掌握出来ぬ程宮中で無駄に過ごしておらぬとわろうておったわ」
 甥である師成は匡興とは八歳しか変わらぬが、若い頃からの他を圧する美貌に円熟味を加え優美かつ典雅な容色を今尚ほこっている。優雅に笑みながら声音は柔和に不敵な言葉を述べる様相は容易に瞼に浮かんだ。
「弟君の曾孫が生まれる故、この世の名残に一目会いませぬか、ときおったわ。その言い分が気に入った故、久方ぶりに山を下りてみる気になったのよ」
 弟君。その言葉が示す相手を思い起こし、匡興は少しばかり心中に複雑なものを覚えた。関白ら三姉弟の父であり、匡興の次兄であった、西の大臣の嫡男がその生を終えたのは二十数年も昔のことだ。
「おかげで実に愉快な心地になれたわ」
 くくく、と喉で笑いながら、長兄は皮肉に口端を歪めて冷ややかに言の葉を吐き出した。
「人らしさの欠片もないあの父が、異母兄あにやその息子、果ては入道宮様まで弑して欲した“当家の血を引く若宮を御位につける”という切望が結局二宮様の他に叶わなんだ。そればかりか、西二条の血を引かぬ帝の御代であってもその地位揺らがず誰も殺さず政権を握って見せる師成のさまが、あの父が実に無様であったと見せつけるようでまこと痛快よ」
 二宮、とは、今上の下の若宮のことではない。即位前の今上を指す呼び名でもない。この長兄が指し示す“二宮様”は今上と院の父帝、当世では五条院と呼ばれている御方のことだ。そして、入道宮様とは、その兄宮のこと。不穏な発言に匡興は顔色を変えるが、とうの発言者はむしろ涼しい顔で異母弟を眺め見た。
「――兄君様っ! 何を……っ」
「――高倉の。ああ、其方はまだ元服前であったかな? 伯父上――東の大臣とその子の二条の中納言殿、そして、東二条院殿――当時の弘徽殿皇后がお産みになられた入道宮様。続けざまに急死なさるなど、そのような“偶然”誰も信じてはおらぬよ。昔も今も、な」
 東の大臣とは、匡興らの父である西の大臣の異母兄である。
 西の大臣と東の大臣、彼らの父であり匡興らの祖父である御仁は、世に院の大臣と呼ばれている。その呼び名の通り、院の大臣は、今上やその兄院からみれば高祖父にあたる京極院と呼ばれた御方の寵臣であった。京極院は二代の帝の御代で院として親政を行い宮中の勢力図を刷新した御方だ。その京極院の薫陶を受け宮中の末席から院の御所の重臣に上り詰めたのが院の大臣である。
 そして、院の大臣の子らも京極院の贔屓を与えられていた。東の大臣も西の大臣も京極院の姫宮を正室として与えられていたのだが、京極院はその降嫁に際して親王宣下をなし彼女らの邸宅まで造営したのである。
 東の大臣に降嫁した女八宮は三人の子を、西の大臣に降嫁した女九宮は子を二人産んだ。そして、それぞれ姫がひとりずつ入内しどちらもが皇子おとこみこをあげ双方とも中宮宣旨を下された。一宮を産んだ東の大臣の姫が弘徽殿皇后――没した後東二条院の院号を贈られた――、二宮を産んだ西の大臣の姫が藤壺中宮――当世では郁芳門院と呼ばれている――。
あかしなど無い。だが、皆解っておる。されど、あの父は然様なこと痛痒にも感じはせなんだよ。女九宮様や郁芳門院様が如何に心を痛められても、あのが物の怪憑きなどと謗られるほどに気を病んでも。能子や師成があのような気性でなければ、そして能子が若宮をあげていれば。同じことを繰り返したやもしれぬ」
 もう、五十数年も昔の話だ。東の大臣とその一人息子が時を同じくして急死し、一宮が突然出家したのは。出家した一宮もその後まもなく急死し、その母である弘徽殿皇后も心痛からか父や弟の死から六年後に亡くなった。
 東の大臣と彼の嫡男の死の翌年、御位についたのは二宮――後の五条院。そしてその後、二宮より四歳年少の三宮――後の式部卿宮には西の大臣の庶出の姫――匡興の同母姉が正室として添わされた。
 これらを省みて、東の大臣らの急死に天命以外の介入を疑わなかった者はおるまい。――そして、それを誰よりも信じたのは、西の大臣の嫡男だった。
 目前の長兄以上に、匡興は次兄を知らない。匡興が元服した頃には次兄は出仕もかなわぬ程に気の病を患っていたからだ。元より繊細な気性だったと聞くが、“父が伯父や従弟、その所出の若宮を殺した”と信じたことは次兄の心の均衡を完膚なきまでに破壊した、らしい。西二条邸を離れ別邸で養生していた次兄を見舞った時のことを思い出すと、匡興は胃の腑が詰まったような心地になる。読経が響き抹香が焚きしめられた邸の中、烏帽子を被らぬばかりか髷も結わず単に袿を羽織っただけの姿で塗籠に蹲る次兄と、苦い顔で覆いかぶさるように次兄を抱きしめる長兄の姿は、忘れようもない。西の大臣の采配で形ばかりは関白の地位にはあったものの、次兄は物忌みと称して合切出仕することは無かった。
「……兄君様、滅多なことを口外なされるのは」
「俗世を捨てた死にぞこないの世迷言に右往左往するほど、上達部どもは暇を持て余しておるのかな?」
 苦い声音で匡興が異を唱えれば、長兄は皮肉な笑みを深めて愉しげに返す。
「そも、あの父が人の成りそこないであったことを誰が否定出来ようか」
 嘲笑にも似た表情で言い捨てる長兄に、匡興は困惑顔で言葉を失った。
「能子が姫宮方を産んだ折や女二宮が夭折した折も大概な言いざまをされたとは聞いているが、師成が娘の時も変わってはおらなんだのであろう。唾棄せんばかりに言い捨てたわ。娘の顔を見る度、まだ身籠らぬかと感情の欠片もなく冷ややかに繰り返しておったそうだな」
 冬の外気よりも冷ややかにそう言う長兄に匡興は返す言葉も出なかった。
 上の能子は裳着も迎えぬうちに、師成は袴着を終えて間もなく、末の俊通に至っては生まれて間もなく、父親と断絶を余儀なくされた姉弟は、その要因となった西の大臣に一線を画していた。元より存在していた祖父と孫との心の距離は、切欠一つで呆気なく修復不可能な状態に陥ったらしい。能子は最初の子である女二宮が生後一年ほどで夭折した際、西の大臣から政局に影響を与えぬ姫宮ならば支障はなかろうと言われたことを生涯許しはしなかったそうだ。師成はその祖父に似たのか思い詰める気性の我が娘に、会う都度懐妊はまだかと問う西の大臣に常々怒りを露わにしていた。
 院の御所に移って一年と経たず藤壺皇后が懐妊したと聞いた時、その辺りの事情を知る二条の者は宮中にいる間懐妊しなかったのは西の大臣から受け続けた圧力が原因であったのだな、と思ったものだ。
「ああ、まったく、無様よ。省みて見よ、二条からあげえた若宮は二宮様と入道宮様のお二方ばかりではないか」
 ふん、と鼻を鳴らして長兄は言い捨てる。
 院の大臣には娘が三人おり、一人は入内しあとの二人は臣籍に下った京極院の皇子に嫁したが、いずれも産んだのは娘ひとり。東の大臣の二人の娘のうち、東二条院は入道宮の他にさきの斎院を産んだが前春宮――匡興らの母が乳母子として仕えた御方だ――の妃となったほうは子をなせなかった。郁芳門院が産んだのは五条院ただおひとり。匡興の同母姉は式部卿宮との間に女王にょおうを三人もうけたが男子はない。五条院に入内した能子が産んだのは夭折した女二宮と准后の宮の二人。俊通の娘は嫁ぐ前に身罷り、ようやく藤壺皇后が産んだのも姫宮である。確かに皇子おとこみこに縁遠い家系だ。
「結局、宮中での根回しが達者な方が長く政の中心に在れるということか、なあ、師成よ」
「さて? 然様であれば、と日々気回しは欠かさぬよう心掛けてはおりますが、思うように為せておりますかどうか」
 わずかに匡興から視線をずらし長兄が呼び掛けた言葉に、背後から上がった返答に驚いて振り返えれば、そこには甥である師成が常通りに柔和に微笑んで居た。
「然様なこと、死んだ後で残った誰かが判じるものよ」
「御仏に仕える御方のお言葉、しかと承っておきまする」
「さてはて、儂の如く名ばかりの坊主の弁などに有難みなどあるものかな?」
「長く生きておられる方の経験は、我ら若輩者にはそれだけで得難いものでございますとも」
 呵々と愉しげに笑う長兄と柔らかに微笑する甥のやり取りを聞きつつ、匡興は我知らず深く息を吐き出した。身の内まで冷えた気がするのはおそらく冬の風ばかりが原因ではあるまい。
「伯父上様。叔父上も。外の風は冷えましょう。どうぞ中にお入り下さいませ」
「山の庵に比べればなんということもないが……、家主あるじの誘いよ、素直に受けるとするかな、高倉の」
 どこまで二人のおじのやり取りを聞いていたのか。おくびにも感じさせずに穏やかな表情と声音とで甥はそう言うと、そっと背後の板戸を指し示す。それに鷹揚に頷く長兄の呼びかけに、はい、と応じながら、匡興は先まで話題の矛先に上がっていた御仁の名残を振り切るようにそっとかぶりを振った。






21年神無月上旬

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