受け継ぐもの、受け継がれるもの
 ――かたり。
 書斎に置かれた机の引き出しを開け、その中に収められた掌に乗るほどの小さな革張りの箱を手に取る。
 照明が付けられていない室内は、カーテンのひかれていない窓から洩れ入る月光が、淡く、室内と机の傍らにたたずむ男とを包んでいた。
 男は、手に取った小箱にもう片方の手を沿え、静かにそのふたを開けた。
 ふたの下から現れたのは、ベロアに包まれるように収められた白灰色の小さな――髑髏の形をした――徽章。

「……」

 しばらくの間、手の中の箱に収められた徽章に注がれていた男の視線が不意に逸れ、再び引き出しの中へと落ちる。
 その、先程までは件の小箱が収められていた、ちょうどその隣に、色あせた写真が一枚、額に入れられて仕舞い込まれていた。
 その写真に写っているのは、一組の若い男女。
 純白のウェディングドレスに身を包んだ小柄な女性と、白のタキシードを着込んだ青年の姿。
 もしも、その写真を他に目にした人間がいれば、おそらくは驚愕に目を剥いたであろう。
 溢れんばかりの幸福そうな笑顔をこぼす花嫁とは対照的な、着慣れない明るい色目の衣装にどこか居心地悪げに苦笑をにじませる花婿に、写真の装束ではなく、黒一色の軍服を着せ目深に軍帽を被せれば、男と同世代以上の者なら知る人物も多いある超人レスラーの姿になるからだ。

「……親父……おふくろ」

 小さく――声に出す、というよりは口の中で囁くように、本当に小さく、男――ブロッケンJr.は呟きをもらした。
 それは、写真を撮られることを嫌っていた父親が遺したたった一枚の私的な写真だった。
 そして、彼が手に持つ箱の中の徽章は、亡き父・ブロッケンマンの形見、と言ってもいいものだった。
 もう何十年も、父親が愛用していた書斎の引き出しに仕舞われたままのものだった。

「悪いな――。わしは、あなた方の血を遺せなかった」
 苦笑に似て、けれど異なる微笑を浮かべて、ブロッケンJr.は写真の中の両親に語りかける。
「だが――、血は遺せなかったが、代わりに、わしらの――ブロッケン一族の魂を受け継いでくれる者を得ることは出来た」
 ぱたん……。
 耳に聞こえるかどうかの、小さな音をたてて、ブロッケンJr.の手の中の小箱のふたが閉じられた。
「そいつに、これを――一族の魂の証を、渡そうと思う」

 ――出来るなら、父よ、母よ……そして、伯父をはじめとするもう過ぎ去っていった一族の皆よ。
 未来へ進もうとしている若き超人に、あなた方の祝福と加護を与えてやって欲しい。

 声には出さず、口を動かすこともせず、心の内だけで、ブロッケンJr.はそう、呟いた。
 その時。

 コンコン……。

 遠慮がちに、ドアをノックする音が、夜の静けさの中で響いた。
「レーラァ。お待たせしました」
 続いて、やや緊張した語調の、弟子の声が礼儀正しくドアの向こうから聞こえてきた。
「入れ」
 引き出しをそっと閉め、ブロッケンJr.は短く、入室を促す。
 その言葉を聞いて、弟子は――ジェイドは、静かにドアを開き書斎に入ると、ぴん、と背筋を伸ばしてドアを背に立ち止まった。
 仕立てあがったばかりのリングコスチュームを身に着けた弟子の姿に、師は感慨深げに目を細めた。
 この弟子は、明日には、ヘラクレスファクトリーに入学する為にレッスル星に旅立つ。その前に――。

「ジェイド。こちらに来なさい」

 わずかに立ち位置を移動し、書斎机を背にして弟子を対する場所に立ち、ブロッケンJr.はジェイドに静かに呼びかけた。
「はいっ」
 わざわざ書斎に――リングコスチュームに着替えて、という注釈を付けられて――呼びつけられた理由が分からないせいだろう、少し緊張した面持ちで、ジェイドはやや早足で、指示された位置まで足を進めた。
 背中に鉄の棒でも入れられたかのように、真っ直ぐに背筋を伸ばして立つジェイドの様相に、微笑ましく思いながらブロッケンJr.は掌の中の小箱をもう一度開いた。
「――ジェイド。ヘラクレスファクトリーに行く前に、お前に渡したいものがある」
 ブロッケンJr.は小箱の中の物を手に取ると、空の箱をそっと、机の上に置いた。
「はい」
 師の言葉に、ジェイドはいっそう姿勢を正し、短く返事をする。
「――よくぞ長く苦しい訓練に耐えたな」
 低く、そう言うと、ブロッケンJr.は掌を開き、そこに収められた徽章をジェイドに示した。
「お前を一人前の超人と認めて、わがブロッケン一族に伝わるドクロの徽章を授ける」
 そして、そう言葉を続けると、ジェイドの首元に手を伸ばし、その襟元に徽章をとりつけた。
「……」
 驚いたように――実際驚いていただろうが――大きく目を見開き、しばらくの間、ジェイドは言葉もなく師匠を見つめていた。
 言葉を発そうと口を開き――だが、適当な言葉が出てこないのだろう、酸素を求める魚のように、何度か口を開閉して……そうして、ようやく、搾り出すように、ジェイドの喉が言葉を紡いだ。

「ダンケシェーン、師匠レーラァ……」



 ――その襟元に飾られた、師の想い、そして、それ以外の多くのものの込められた髑髏の徽章は、月光を反射して鈍く白灰色に輝いていた――。






04年卯月中旬

徽章ネタ。なんとなく、ジェイドの徽章はブロッケン親父のものだと面白いかな、と思ってみたり。
よく外れているからって、一族の守護霊が勤勉でないわけではありません(笑)
こっそり、一番の読みどころは親父の結婚式の写真。奥様の希望で撮影(笑)
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