「おおう〜。さむい、さむい、さむ〜い〜っ」 がちがちと、歯の根を鳴らして震え上がりながら、キン肉マンは己の低い体感温度を訴えた。 「なんじゃ、この寒さは〜。今年は暖冬ではなかったのか?」 ガタガタと、身を震わせながら、外れた予報に文句もつけてみる。 今冬は暖冬、という長期予報はどこへやら。 蓋を開けてみれば、例年にない厳しい寒さになるとのこと。 その証左のように、早い時期からちらつく雪も恨めしい限りだった。 寒気という、目に見えない代わりに身に染みる自然現象に、散々っぱら愚痴をわめきちらしたくもなるというもの。 ――もちろん、そんなことをすれば横合いから諌めの言葉が入るわけだが。 「みっともないですよ、王子。少しは我慢して下さい」 「心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。精神修行が足りんぞ、キン肉マン」 お目付け役と、“スパルタ師匠”の旧友、双方からの小言に、「そんなことを言っても寒いものは寒いんじゃ〜」と情けない声音で反論する。 そんな半分涙目の訴えに、仲間内でも一、二を争う優しい友人が自分のマフラーを解いて、そっとキン肉マンの肩にストール代わりにかけてやる。 「――大丈夫か、キン肉マン」 「寒い時は首を温めるといいらしいぞ」 心配げに首を傾げる友人の横から、親友も手を伸ばしてきた。 「――いくらなんでも、それはやりすぎではないか?」 親友のマフラーと、元々巻いていた自分のマフラーを首に巻き。 ジャケットを着た肩には友人のマフラー。 毛糸の帽子に、温かそうな耳当て。 手袋は二重にはめて、ズボンの下には股引。中にもシャツを何枚着込んでいることやら。 完全に着膨れしているキン肉マンの様相に、古くからの友人も、普段細い目を見開いて呆れたような言葉をもらした。 「それじゃあ、逆に暑いと思うぜ?」 「“ブタ肉マン”って言われても反論出来ねえな……」 他の友人達も、その言葉に賛同を示して頷く。 「うるさいわいっ。寒いものは寒いんじゃ〜」 呆れられての発言に、言い返す語調もどこか弱々しかった。 ブルブルと震えるキン肉マンの姿に。 取り囲む友人達は、互いに視線を交錯させてかすかに苦笑を交わすのだった。 『冬のある日』(06年1月初出) |
「親父? 何してるんだ?」 不思議そうに目を丸くして。 息子は父親に、その日の朝最初の一言を口にした。 ここは西ベルリンにあるブロッケン邸。 屋敷内のダイニングには、薄い書籍が几帳面に収められたサイドボードがひとつ置かれている。 その中に収められているのは、この家の主の亡妻が生前所有していた料理本やレシピのメモなのだが。 それらを手に取りページをくっているのは、この屋敷の主人――ブロッケンマンその人だった。 “ドイツの鬼”の二つ名を持つ残虐ファイターには似つかわしくないことこの上ない光景に、血を分けた息子ですら不信感を抱かずにはいられない。 「つい先刻、シュミット夫人から電話があってな」 ぱたん、とページを閉じて、父親は息子を振り返った。 唐突に出てきたのは、息子が生まれて以来――正確には息子を産んでブロッケンマンの妻が亡くなって以来――、この家で働いてくれている通いの家政婦の名だった。 「急用で、今日は彼女は休ませることになった」 「…………まさか、親父。あんたが飯を作る気なのか……?」 短い父親の説明と現在の不審な行動とに、息子は嫌な予感を覚えた。 「その手では、料理は出来ないだろう、Jr.?」 首を傾げる代わりに眉根をかすかにしかめて、父親は反問する。 父子でよく似た色をした眼差しが、真っ直ぐに向けられたのは息子の利き腕。 指の関節まできっちりと包帯で固定されたその手は、昨日の修行で傷めたものだった。 「でも、親父。出来るのか、料理……?」 疑いの眼差しと、不安のにじむ声音で、息子は父親に問いを重ねた。 息子が生まれて十五年。 この父親がキッチンに立った姿など、ただの一度も見た覚えはない。 息子自身は、料理の基礎は教えられてはいるが……教わった相手は父親ではなかった。 不信感もあらわに問いかけた息子に対して、父親は頷き――とんでもない返答を口にした。 「ミルクは人肌だということは知っている」 「何年前に知った知識だよ!? 第一、今、それは役にたたねえだろ!」 思わず、息子の口から悲鳴にも似た絶叫があがった。 次の瞬間、怖いほど真摯な顔で息子は父親に詰め寄った。 「親父! 頼むから余計なことはするな! 焼くだけとか、そういう手のかからねえやつにしてくれっ!!」 これ以上ないほど真剣に懇願する息子に、父親は腕まくりをしながら背を向けた。 「Jr.。努力は怠るべきではない」 「そんなところでやる気を見せなくてもいい!!」 背中に投げつけられる息子の嘆願は、真っ直ぐに背筋を伸ばし調理台へと向かう父親の足を止めることは出来なかったのだった――。 ブロッケンマンのトレーナーを務める人物(ブロッケン一族)が、ブロッケンマンの無謀な挑戦を止める為に、彼の息子から電話で呼び出されるまであと二十三分。 『料理のスゝメ』(06年2月初出) |
「まあ、ドジだな」 「……確かに、少しおっちょこちょいなところはあるが……」 「単純だろ、あと、けっこう頭に血が昇りやすいよな」 「そうだな。それにお調子者でもある」 「昔に比べれば幾分マシにはなったが、怯懦の点は直らんようだな」 「一言でいうと、バカ、だな」 「まったく」 「何に対しても真っ直ぐ過ぎるんだよ、まったく」 「いいじゃないか、素直で優しいだけだよ」 「お人よしって言った方がいいと思うぜ、あれは」 「他者 「少しは己を守ることも考えるべきだな。土壇場でああも捨て身になられては、こちらが苦労する」 「仲間思いなのはいいんだけどな。見ていて気が気じゃないぜ」 「? どうしたんじゃ、みんな揃って?」 嘘を許される日に、生まれたひと。 「なんじゃ? 今日は一体、何の集まりじゃ?」 「おいおい、何言ってるんだよ」 「忘れたのか」 「今日は何日だ?」 今日は、四月一日。 嘘をついてもいい日。 それから。 「お前の誕生日じゃないか」 大切な、親友が生まれた日。 「キン肉マン」 嘘が許容される日だけれど。 けれど、今日は大事な君が生まれた日。 だから。 「おめでとう」 嘘偽りなどない、本当の気持ちを込めて。 心からの寿ぎを君に。 『四月の愚者』(06年4月初出) |
――夢を見た。 それは、昔から何度も見た夢。 夢の中で、父母は、もう長く見た覚えの無い笑顔を己に向けていた。 皮肉なことだ。 重圧に押しつぶされ、反発し、周囲のすべてを壊そうとするかのように暴発してからは、両親の笑みなど見てはいなかった。 『ほれ、アタル。お前の弟じゃぞ』 夢の中の父は、見慣れてしまった息子の反乱に困惑する表情ではなく、眦の下がりきった満面の笑顔でそう告げる。 『アタル。抱いてあげなさいな』 夢の中の母は、険しく怒った顔ではなく、穏やかな優しい笑顔で、“兄”となった息子に弟を抱いてやれ、と促す。 ――それは、過去の何処を探ってもあり得なかった――現には存在しない、幻の光景だった。 己は、弟の誕生に立ち会うことはなかった。 ……いや、それどころか、長く、生まれたきょうだいが男であるか女であったかさえ、知らなかった。 顔も知らない弟は。 夢の中でも、常に陰影にまぎれてその目鼻立ちを窺うことは出来ず。 名も知らぬ弟を。 父母がその名を呼ぶこともなく。 夢の中、嬉しそうに笑う父が差し出す腕に抱かれた弟は、己の腕に渡されることはなかった。ただの一度も。 己の腕が見も知らぬ弟を抱くことなく、覚醒の時は訪れ、現実の中、空しく両の腕は宙を掻くのだ。何度も。 『アタル』 差し出された弟を、夢の中の己の腕は促されるままにそっと持ち上がる。 ――そして、また空虚を抱くのだと、現の己が片隅で思った。 だが。 『どうじゃ? わしに似て男前じゃろう?』 『いやね、パパったら。マスクを被っているのに、似ているかどうかなんて分かるわけないでしょう?』 予想に反して、両の腕は宙を掻くことはなく。 小さな身体の温もりと。 心許無いほどに軽い命の重みとが、己の腕にそっと乗せられた。 驚きに目を見開けば。 己の腕の中、生まれて間もない赤子が、おくるみに包まれて安らかな寝息をたてていた。 ずっと見ることの叶わなかった、柔肌をあらわに晒す幼い顔は、何故か見覚えがある気がした。 何故かと考えてみて、それが人目につかぬように覗いた鏡面に映る顔と、どこか似た面差しを持っているのだと気付く。 『――――スグル……』 呆と、呟き。 そこで、視界が途切れた――。 うっすらと。 瞼を上げ――不自然な姿勢に強張った関節に気付き、アタルは、己が座ったまま眠っていたことを知る。 次に気付いたのは、片方の太腿に感じる重み。それに、何気なく視線を転じて見れば。 「――――スグル?」 己の膝の上で、大きく寝息をたてて眠る弟の顔がそこにあった。 弟の身体のそこかしこに残る戦いの痕跡と。 部屋の中でかすかに香るアルコール臭に、アタルは、己が眠りに落ちる前、その場で何が行われていたかを思い出した。 そっと、打撃の痕が残る弟の頭に手を添えながら、思い返すのは、数時間前のリング上での光景だった。 アタルが望んだとおりに、この頭に乗せられた王冠と、その背を飾った深紅のマント――戦いを征し、王となった弟の姿。 戦いの後、弟は仲間達からの祝杯を浴びるほどに受け――そうして、そのまま寝入ってしまったようだった。 ……仕方のない奴だ、風邪をひくぞ、と。 疲れ果て――けれど、安らかに眠る弟の寝顔に、アタルはそう思いながらそっと目を細めた。 ――たった今、見た夢は。 己の愚行を悟ってから、何度も見ては悔恨の念を噛みしめたものだった。 そっと、眠る弟の手の甲に、己の掌を重ねてみる。 夢の中、己は弟の手を何度も掴み損ねた。 それに触れたのは――死の直前、否、存在そのものが消失するその時のことだ。 掌から――触れた場所から伝わる熱は、たった今、夢の中で抱いた温もりと同じもの。 触れることはないと思っていた、温もりだった。 最初で最後だと、思った温もりだった。 それがただただ愛おしく――貴く思えて。 アタルは、重ねた手をしっかと握り締めた――。 『愚者の夢』(06年4月初出) |
もしも、超人レスラーでなかったら、どんな職業についていたと思う? 「ラーメンマンは、教師になってそうだな」 「あー、そうじゃのう。似合いそうじゃ」 「ジェロニモも小さい子供相手の仕事をしてそうなイメージだよな」 「あいつは、保育園とか幼稚園の先生だと思うぜ。で、子供にすごく懐かれてるんだ」 「で、保護者の評判もいいんだろ?」 「あー、ダメじゃあ。バッファローマンはガテン系しか想像がつかんわい」 「確かに似合いそうだよなー」 雑談の合間にふとこぼれた、“もしも”の話。 今とは異なる仲間の姿を想像しては笑いあっていると、ふわり、と温かな芳香が漂ってきた。 その芳香に振り返れば、湯気がやわらかに立ち込めるカップを三つ持ったウォーズマンがキッチンから出てくるところだった。 「随分楽しそうだな。何の話をしてるんだ?」 両手に持ったカップを三人の客の前にそれぞれ置きながら、軽く首を傾げて問いかけるウォーズマンに、友人達はたった今交わしていた会話の内容を口々に説明し始めた。 「超人レスラー以外で生きていくなら、皆はどんな仕事に就くだろうな、って想像してたんだ」 「テリーマンとか、キン肉マンは、そのままだろうけどな」 「何を言うとる。ウルフマンだってそうじゃろうが」 「へえ――」 「ウォーズマンはなんだろうなあ……」 「そうじゃのう……」 想像を巡らせながら、出されたカップを持ち上げて。 一口、口に含んで。 三人は、ふと気付いたように、互いの持つカップにそれぞれ視線を向けた。 キン肉マンの持つカップには、ホットココアが満たされていた。――おそらく、インスタントではなく、きちんと手鍋で作ったものだ。 テリーマンの持つカップは、コーヒーが入っていた。――色の具合からして、多分アメリカンだ。 ウルフマンの持つカップの中身は、日本茶。――ちゃんと茶葉で注いだ緑茶である。 随分以前に。 食べ物なら牛丼、飲み物はココアが一番好きだと言ったことを。 コーヒーはブラックのアメリカンに限る、と言ったことを。 やっぱり、日本茶が一番ほっとすると言ったことを。 きちんと覚えていてくれたらしい。 その上、三人それぞれの好みに合わせて支度してくれる、この気配り。 しかも、どれも本人が普段飲まないであろう品だ。 なのに、訪ねるというだけで、好みの飲み物をわざわざ準備してくれる、この心遣い。 流石にカップは三脚とも揃いの客用ティーカップだが――、だが、しかし。 「――接客業じゃな」 「――間違いなく、サービス業だ」 「――むしろ、主夫だろう」 やけに断言口調でそう語り合う友人達の様相に。 ウォーズマンは不思議そうに首を傾げるのだった……。 『天職』(06年5月初出) |
「あら? スグル様、あれをご覧になって」 キン肉マンの腕にしっかと細腕を絡め、寄り添うように歩いていたビビンバが、不意に歩を緩めた。 つられて――馴れない“デート”に戸惑いながらも、組まれた腕を振り解けず、なすがままになっていた――キン肉マンも足を止める。 「なんじゃ、ビビンバ?」 振り返り、ビビンバの指差す方に視線を向ければ――。 「ほおー。随分大きな笹飾りじゃのう」 指差すその先には、ショッピングモールの吹き抜けに置かれた大振りの笹竹。 それには、折られ、あるいは、鋏を入れられた、色とりどりの紙細工で飾り付けられていた。 「あれは何ですの、スグル様?」 物珍しげにそれを眺めながら、問いかけるビビンバに、キン肉マンは目を細めて微笑んで応えた。 「笹飾りじゃ。七月七日は“七夕”というて、日本の祭りでのう。その日には、折り紙で作った飾りや願い事を書いた短冊を笹に吊るすんじゃ」 「お願い事をする日ですの?」 キン肉マンの説明を聞いて、ビビンバは少し目を見開いて、軽く首を傾げた。 問い返しに、ビビンバを見返してキン肉マンも笑い返す。 「そうじゃ。――おお、ビビンバ。見てみい」 ふと、視界の片隅に笹竹の元に置かれた長机に気付き、キン肉マンはそれを指差した。 そして、その長机の上には一枚のボードが置かれていた。 ボードに書かれているのは、自由に短冊に書き込みをして笹に取り付けることを勧める文面。 その旨をビビンバに告げれば、彼女は興味深げに目を輝かせた。 「面白そう。スグル様、わたしも、お願い事をしてみたいですわ」 にっこりと笑んで、ねだるビビンバに、キン肉マンも笑い返して頷いた。 「なら、一緒に短冊を書いてみるか、ビビンバ?」 「はい!」 楽しげに二人微笑んで頷き合い。 揃って、吹き抜けに飾られた笹竹へと足を向けた。 数分後。 二人が去った後には、笹竹の一枝にピンクと黄色の短冊が並んで吊るされていた――。
『ずっと、スグル様と一緒にいられますように』
『変わらず皆と共にいられるように』 『七夕』(06年7月初出) |
ざあ……。 よせてはかえす潮騒が、夕暮れの空に静かに響く。 穏やかに揺れる波飛沫が、さらさらと細かい砂の上をゆったりと行き来していて。 歩く度、きゅ、きゅ、と音をたてる砂浜に、面白がって履物を脱ぎ捨てた素足を、波が飲み込んでは、するり、と去って行く。 「すっかり、日も暮れてしまったのう」 残念そうに、キン肉マンが呟けば。 先刻、じゃれあいの結果、波間に引き倒されて所為で、全身ぐっしょりと濡れる羽目になったテリーマンが海水の滴る髪を両手でかき上げながら、そうだな、と頷いた。 その傍では、同じく海水を全身に浴びる羽目になった者があと三人。 ブロッケンJr.は、水気を吸った上着が不快らしく、とうにそれを脱いでしまっている。 ジェロニモは半分困ったような微笑をこぼしながら、びっしょりと濡れた髪を両手でしぼり、少しでも水気を取ろうと奮闘していた。 自慢の大銀杏が崩されてしまったウルフマンは、舌先に残る塩辛さに顔をしかめている。 そこに、波打ち際での盛大なじゃれあい――別名、ノーロープ砂浜リングでのバトルロイヤル――から、いち早く浜辺に避難した一団から、濡れ鼠五人衆に声がかけられた。 「そろそろ、宿に戻らないか?」 ウォーズマンが、帰参を促す言葉を告げれば。 「そうだな。じきに暗くなる。一度宿に戻ったほうが良かろう」 「しかし、その前にその格好を何とかせねばなるまい」 ロビンマスクが重々しく頷き、ラーメンマンは顎に手を当て、軽く首を傾げた。 ラーメンマンの呟きを聞き、ミートがくるり、と踵をかえす。 「じゃあ、ボク、タオルを取ってきます」 「オレも行くよ」 小走りに走り出そうとしたミートに、ウォーズマンはそう言うと、後を追うように、くるり、と身を翻した。 「すまんの〜。ミート、ウォーズマン」 「すまない、と思うんでしたら、子供みたいなことはしないで下さい、王子!」 その背に投げかけられたキン肉マンの言葉に。 ミートは振り返って立ち止まり、一喝を返す。 一瞬の静寂。 そして。 次の瞬間、笑い声が上がった。 楽しげな笑い声は。 夕日に染まった波間をなだらかに滑り――夕闇の空へと吸い込まれていった。 『潮騒』(06年8月初出) |
「おーい。変わったもんが手に入ったから、一緒に食わねえか〜?」 丸い目を、楕円に緩ませ。 どことなく楽しげに、ステカセキングは六人の同胞に呼びかけた。 ぽてぽて、と音がしそうな歩みで六人に近付いてくるステカセキングは、その手になにやら持っている。 丸みを帯びた、愛嬌さえあるステカセキングの手に掴まれたものは――。 掌大の、缶詰だった。 ……ただし。 上下の面は缶詰として通常ありえない曲線を描いて丸く膨らんでおり、側面も心持ち膨張して見えた。 一言で言うと、怪しい。その言葉に尽きた。 「…………なんだ、それは?」 他の五人の内心を代弁するように、胡散臭そうに目頭をしかめて、バッファローマンが問う。 だが、ステカセキングはその疑わしげな声音を気にも留めず、その缶詰を手近な台の上に乗せ、どこからか缶切りを取り出した。 「北欧のニシンの缶詰だってよ。サンドイッチ風に食うんだってさ」 フンフ〜ン、と鼻歌交じりに――ステカセキングは存外歌が上手い――そう言いながら、ステカセキングは缶切りを缶詰の上部にあてた。 「――本当に可食物なのだろうな、ステカセよ」 不信もあらわな口ぶりでブラックホールが呟く。 もし、彼の顔に穴が開いていなければ、バッファローマン同様、顔をしかめているに違いない口調だった。 「美味いって聞いたぜ〜?」 それでも、期待に満ちたステカセキングの声音が曇ることはなかった。 「どう見ても怪しいぜ、そりゃあ……」 「そもそも、何故、缶詰が膨張しているんだ?」 「……開けぬ方が良い、とわらわの勘も告げておるぞ?」 「腐っていない限り、大概のものは喰えるだろうよ」 同胞達があれやこれやと口を開く中。 ステカセキングは、その缶詰に缶切りの刃を差し込んだ。 その瞬間。 ブシュ……ッ! 刃が食い込んだ部位から、ピンクとベージュの間のような色合いの液体が潮の如く吹き出した。 そして。 「「「!!?」」」 沸騰した湯のようにブクブクと気泡を発生させながら吹き零れる液体と共に、缶詰から滲み出したのは……。 「――!!」 「グハア!!」 「臭い! 臭過ぎる!!」 「△×□※○$☆〜!?」 「邪魔だぁ! そこを退けぇ!! 魔雲天!!!」 「ええい、わらわが先だ、そこを空けよ、アトランティス!!」 筆舌しがたい、強烈な臭気が周囲一帯に充満し、一瞬遅れて、悲鳴にも似た絶叫があがった。 ……それは、ある意味驚異的な光景だった。 どのような強敵を前にしても相手に背を見せ逃げ出さぬことが身上の悪魔超人が、先を争ってその場から離れようとしているのだから。 出入り口では、そこを塞ぐ形になってしまった魔雲天の巨体を、バッファローマンが強引に払い除けようとし。その魔雲天と枠組みの隙間に、スプリングマンが身体を必死に押し込んで抜け出そうとしている。 窓の方では、ミスターカーメンとアトランティスが押し合いながら、そこから外へ出ようともがいていた。 そして、ブラックホールは、といえば、早々に単独異次元に姿を消していた。 阿鼻叫喚の地獄絵図を生み出す要因を作ったステカセキングは、といえば。 もとより丸い目を更に丸くして、六人の同胞達の狂乱を首を傾げて眺めていた――。 ――缶詰の発した臭気は。 サタンの宮殿、その一角にこびりついて、数日間、臭いが取れなかったという……。 シュールストレミング。それは世界一臭いという、鰊を発酵させるスウェーデンの缶詰。 『悪魔の嗜好1』(06年9月初出) |
――ああ、だから。 鬱陶しいとか。面倒だとか。 色々な感情のこもった、嘆息が大きくひとつこぼれた。 己が心情に従えば、天でも仰ぎたいところだが、それは叶わない。 何故なら――。 「あーう」 幼い赤子の舌足らずな声音が、後頭部で響く。 そして。 すぽっ。 己の顔面の中心から、紅葉のように小さな掌が突き抜けていく光景が、視界に広がった。 「あー」 まだ言葉を操れない赤子が、きゃっきゃ、と楽しげに笑う声が、先ほどから頭の後ろで続いていた。 そして、白い手が先から何度も、己の顔に開いた穴を抜き差しして遊んでいた。 ……理解は、出来るのだ。 己を産んだ女性も、この赤子――己の従弟を産んだ女性も、ごく平凡な人間型の超人で。 彼女達姉妹の夫達も――己らの父親も、亜人間型とはいえ、ちゃんと目鼻立ちが存在する。 ぽっかりと、顔の中心に穴の開いた己の容貌は、超人の中でも充分物珍しいものであることぐらい、自覚はあった。 しかし、だからといって、この状況を容認出来るか、というのは別の話だ。 「あーうー」 近頃、より精力的に這い回るようになった従弟は、同時に背の羽根を使うことも覚えたようで。 それを利用して、スパーリングの後、小休止を取っていた己の頭の上に飛び乗ってきたのだ。 そして、この顔の穴に手足を突っ込んでは、かれこれ小一時間、遊び続けているわけだ。 止めろ、と言っても、相手はまだ赤子。 赤子相手に、言葉は無力だ。 ――異次元に吸い込んでやろうか。 背格好は成人のそれに匹敵するほど育ってはいても、実年齢はまだ十歳にも満たぬ子供なのは、事実。 不承の状況に不満を覚え、苛立たぬほど、精神的修養はまだ積めていない。 しかし、その思い付きを実行出来るかどうかは別の問題だ。 この従弟への思い入れは、今はまだそれほどないが。 その思い付きを実行した場合の、周囲の反応を予測すれば、色々と面倒で――その気がおこらない。 必然的に、実力行使も不可能。 そこから導き出される結論は。 為すがまま。 しか、なかった。 「…………早く、育て」 苦々しげに。 そう呟いた己の視界に、白い小さな手が、すぽり、と突き抜けていった。 『従弟のお気に入り』(06年9月初出) |
ゆっくりと。 瞼を開くと、見慣れぬ天井がぼやけた視界に真っ先に映った。 仰向けになったまま、しばしぼんやりとしていると、徐々に視界がクリアになってくる。 そして、覚醒と共に記憶もはっきりとしてきた。 ――ここは。 大阪市内にある、とあるホテルの一室だ。 王位争奪の戦いを終え、ここで一泊することになり――そして、仲間達から祝杯を受けたのだったと。 眠りに落ちる前の記憶を反芻して……キン肉マンは、己がアルコールによって睡魔の腕の中に落ちたのだと察した。 どうやら、眠っている間に仲間の誰かが部屋に運んでくれたらしい。 状況を把握し、ごろり、と寝返りを打って――そこで初めて、キン肉マンは室内に自分以外の者がいたことに気付いた。 「……アタル兄さん?」 視線を転じた傍らには、ベッドがもう一つ。どうやらツインの部屋らしい。 そして、隣のベッドに腰掛けていたのは、戦いの最中、その存在を知ったばかりの兄だった。 「――起きてしまったか?」 目を丸くして兄を見つめる弟に、アタルはわずかに首を傾げて、腰を上げた。 そして、キン肉マンが横になっているベッドの傍らに膝を折ると、その頭にそっと手を添えた。 「具合が悪いなどということはないか? 随分呑んでいたが……」 二日酔いを案ずる兄の言葉に、キン肉マンは目を細めて笑い、それが杞憂であると告げる。 「ぜーんぜん、そんなことはないぞ? むしろ、すっきり爽やかさんな目覚めじゃ」 そう言いながら、起き上がろうとしたキン肉マンを、アタルは仕草でとどめた。 「横になっていろ。あれだけ激しい戦いの後だ。ゆっくり身体を休めるといい」 唯一、マスクから露出している双眸を細め、アタルは弟に休息を取るよう勧める。 穏やかな言葉と態度だったが、そこには有無を言わせぬものが宿っていた。 とどめる手と、兄の言葉に逆らわず、キン肉マンはゆるゆるとした動作でベッドに再び身体を沈めた。 大人しく兄の言葉に従い、ぽすり、と枕に頭を預けた弟に、アタルは微笑むようにいっそう目を細める。 そして、そっとキン肉マンの額に、手を重ねた。 弟の身体に走る傷跡が訴えているであろう、痛みを宥めようとするかのような、優しい体温に。 キン肉マンはそえられた兄の手に、己の掌を重ねた。 「……兄さん」 「? どうした、スグル?」 手と手を重ね、ぽつり、と兄を呼ぶ弟に、アタルが小さく首を傾げると。 キン肉マンは顔をほころばせて呟くようにこう言った。 「いや……なんじゃか、嬉しいんじゃ」 目を細め。 口元を緩めて。 ほんの少し照れたように、キン肉マンは囁くように小さな声で、その先を続けた。 「――兄弟がいるとは思ったこともなかったから……」 ぽそぽそと、呟きもらす弟に、兄は軽く目を見開く。 「じゃから、兄さんがここにおるだけで、やけに嬉しくてしょうがないんじゃ」 照れくさそうにそう言って。キン肉マンは幸せそうに笑み崩れる。 その笑顔が、本当に嬉しそうだったから。 けれど、その言葉が生み出されるまでの胸の内にどんな思いがあったかも、読み取れてしまったから。 だから。 アタルは目を細め、小さく頷くしか出来なかった。 「――そうか」 そして、弟の額に乗せた手をわずかに動かし、重ねられていた弟の手を握り締めた――。 『温もり』(06年10月初出) |
「よお、プラネットマン」 不意の呼びかけに。 顔を上げれば、頭上の露台から顔を出し、見下ろす同輩の一人の姿があった。 「何の用だ、スニゲーターよ」 呼び止めに足を止め、相手を見上げながら訊ね返す。 すると、スニゲーターは大きな口元をにやり、と笑みに歪め、くい、と親指で己の背後を指してこう言った。 「用って程でもないがな。暇なら寄って行かねえか?」 スニゲーターの言葉に、プラネットマンは先を促すように首を傾げる。 その仕草の意を汲んで、スニゲーターは更に言葉をつないだ。 「今、アトランティスの野郎と呑んでいてな、そこへ丁度お前が通りかかったから、声をかけてやったというわけだ」 恩着せがましい言い方で酒盃を誘うスニゲーターの言い様に、プラネットマンは、くっ、と口端を持ち上げて笑う。 「暇というわけでもないが――急ぎの用もないな」 腕を組み、胸をそらして、露台のスニゲーターを見上げながら、独り言のようにプラネットマンは呟く。 「来い、というのならば寄ってやろう」 にやり、と口端を歪めて笑いながらプラネットマンがそう応えると、スニゲーターが面白そうに大きく口を開けて笑った。 その笑い声が収まるより先に、プラネットマンは軽く膝を屈伸させて大地を蹴った。 助走もなく、数メートルを飛び上がると、中空で露台の手すりに片手をかけ、そこを支点に下半身を水平に回転させた。 そして、そのまま、ふわり、と露台に着地する。 宇宙地獄の番人の名に相応しい軽やかな身のこなしで露台に降り立ったプラネットマンは――そこに広げられた皿々に盛られたモノに、軽く身を引いた。 「――――なんだ、それはっ!!」 困惑と怒声の入り混じった一喝に、スニゲーターとアトランティスは不思議そうに首を傾げ……それでも、問われたことに明確に答えた。 「蝗の佃煮」 「蜂の子」 「雀の丸焼き」 「蛙の唐揚げ」 一皿一皿指差しながらの説明に、プラネットマンはわなわなと震えながら――もどかしげに夜空を仰ぎ見る。 そして。 怒号を一声叫んだ。 「――っ! つまみを用意するなら、まともに喰えるものを用意せんか!!」 「喰えるだろ?」 「美味いぜ?」 その絶叫に対するスニゲーターとアトランティスの反論に。 「喰えるかっ!!」 速攻の否定が、魔界の夜陰に轟いた――。 『悪魔の嗜好2』(06年11月初出) |
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