Calling ―Last word―
 ――古めかしい観のする、鈴の音を模した電話の呼び出し音が鳴る。
 広すぎるほどに広い邸内だから、離れた部屋や別の階にいれば、普通は電話の呼び出し音など聞こえないだろうが、なにぶん、この屋敷に住むものは普通の人間ではない。
 ましてや、今現在、この家には他に人がいないのだから、その音は意外なほど、よく響いていた。
 そう、この本邸にはもとより人が少ない上、屋敷の主は他出中である。
 しかも、まだ朝も早い時間だから、彼――屋敷の主の息子が赤ん坊の頃から世話になっている通いの家政婦も勤務時間外だ。
 なので、寝室から、欠伸を噛み殺しながら居間へと移動し……そこに置かれた音の発信源――クラシカルな電話の受話器を手に取った。



「Hallo?」
 受話器を顔の側面に押し当て、短く、お決まりの挨拶の語をつむぐと。
 電話回線の向こうから、聞き慣れた低音が耳朶に滑り込んできた。
『Hallo, Guten Morgen. Jr.』
 その声を聞き違えよう筈がない――彼の父・ブロッケンマンのものだったのだから。
「親父? どうしたんだ?」
 受話器を片手に、電話機本体と電話線をもう片方の手に持ち、居間の椅子に腰を下ろし、彼――ブロッケンJr.は疑問符もあらわに、問い返す。

 父親であるブロッケンマンは、現在、この西ベルリンにはいない。それどころか、西ドイツにも――そもそもヨーロッパ自体にいない。
 今、ブロッケンマンはユーラシア大陸の東の端にすがりつくように浮かぶ島国にいる。
 勿論、超人レスラーとして、試合を行う為に、だ。
 それも、普段の選手権などではない。
 四年に一度、行われる超人レスラーの栄誉ある戦い――超人オリンピックに出場する為に、日本に渡っていた。

 その、日本からの突然の国際電話にブロッケンJr.は電話口で目を丸くする。
 今まで、この父親が遠征先から連絡をしてきたことなど、一度もなかったからだ。
 息子の怪訝な問いかけに、父親はあくまでゆったりとした調子で言葉を返してきた。
『別に、こちらは何もない。……ああ、つい先刻、決勝トーナメント出場メンバーが決まったくらいだな』
 今現在、ブロッケンマン本人には何よりの優先事項である筈の話題を、ついでのような何気ない口調で付け加える。
「ふうん……。勿論、親父も残ったんだよな?」
 その言葉に、ブロッケンJr.が返したのは、問いの形をとった確認だった。
 予選程度に足を取られる父親だなどと思ってもいないし――そもそも、息子の思考の中に“父親の敗北”という言葉は一字とて存在していなかったのだから。
『Nein, ……とは言えんな。それとも、言って欲しかったのか?』
「……んなわけねえだろ」
 あくまで生真面目に、息子の発現のすべてを拾おうとする父親に、わずかな脱力感を感じながらブロッケンJr.は椅子の背もたれに思わず沈み込む。
 父親の天然っぷりに馴れてはいても、時々はついていけなくなる瞬間もあるのだ。
『Jr.』
 背もたれに身体を預け、受話器を耳に押し当てたまま天井を仰ぐブロッケンJr.の耳元に、電話回線越しの父親の呼びかけが響く。
「……なんだよ」
 姿勢を変えず、ややそっけなくブロッケンJr.が反応すると、電話回線の向こうの父親は、身内以外は聞いたことがないような穏やかな――優しい声音で、短く語をつむぎ出した。
『初勝利、おめでとう』
「……。親父……?」
 突然の話題の転換に、目を丸くしながらブロッケンJr.は上体を起こす。
 そして、その仕草が見えない父親は、電話の向こうで嬉しげに笑みをこぼしているであろう口調で、ほんの少しからかい混じりに言葉を続けた。
『タイトルベルトの巻き心地は、どうだ?』

 ブロッケンJr.が一族の超人ファイターの証である髑髏の徽章を与えられたのは、つい二ヶ月ほど前のことだった。
 その後、父であるブロッケンマンは超人オリンピック予選に挑む為に日本へ行き、ブロッケンJr.は、自国内で行われた超人ブラスナックル選手権にエントリーした。
 超人レスラーとして初めての試合だったが、ブロッケンJr.はその後、順調に勝ち進み――果ては優勝までもぎ取ったのだった。
 その、決勝の戦いが行われたのは、つい昨日の話だ。
 ドイツと日本にはこの時期だと八時間の時差があることを計算に入れれば、随分な早耳といえよう。

「……もしかして、それ、言う為にわざわざ……?」
 初めての遠征先からの電話の理由に、ようやく思い至った息子が、彼にしては歯切れ悪く訊き返すと、受話器からは、父親の訝しげな響きを宿した肯定の語が返ってきた。
『? 当然だろう? お前のデビュー戦位は見てやりたかったが……。私のスケジュールにあわせては、お前の授与式を早めた意味がなくなるからな』
 残念だと言いたげな響きと。仕方がないという諦念と。
 そして、それらを凌駕して漂う、息子のデビュー戦を飾った勝利を喜ぶ想い。
 それは、電話回線越しの声音だけでも、嫌というほどに伝わってきていた。
『おめだとう、Jr.』
 もう一度、祝いの言葉がつむがれる。
 見えない電話口で、果たしてどれ程顔を緩めているのか、分かったものではない。
 そう思わずにはいられないほどに、その言葉をつむいだ声は優しく響いた。
「……ダンケ」
 普段は口数が少ないというのに、こういう時は饒舌で、こちらを照れくさくさせるばかりの父親に、ブロッケンJr.はほんの少し苦笑気味に口端を吊り上げながら、それでも、父の言葉に素直に礼を返した。
 なにぶん、たった二人きりの父子だ。恥ずかしげもなく向けられる愛情に、照れはするが不快さなどありえる筈がない。
 短い息子の返答に、そういった感情を感じ取ったのだろう。電話の向こうの父親がかすかに微笑む気配が伝わってきた。
 わずかな沈黙。
 そして、その後に電話回線が伝えてきたのは、笑みを含んだブロッケンマンの、息子への呼びかけの言葉だった。
『Jr.』
「……なんだよ」
 先とは意味合いの違う笑みの気配を漂わせた父親の声音に、不審の念を感じながらも、ブロッケンJr.はその呼びかけに言葉で応じる。
 そして。
 息子の奇妙な予感は的中した。



『Ich liebe dich, Jr.』



 声を低めて、耳元に囁くように優しくつむぎ出されたその言葉を、電話回線はその語調を正確にブロッケンJr.の耳に押し当てられた受話器へと伝える。
「な……コラ、親父!!」
 ガチャン。……ツー、ツー、ツー……。
 普段なら――いや、少なくとも息子の前では絶対に使わないような、その言葉を囁くに最適の声音でつむがれた予想外の一言と口調に、一瞬、ブロッケンJr.の思考が停止する。
 そして、その隙を狙い、ブロッケンマンは早々に通話を打ち切った。

 しばらくの間、受話器を握り締めたまま、ブロッケンJr.は呆けていたが、数瞬後にはなんとか我を取り戻し、そして、憤然と立ち上がった。
「何考えてやがるんだ、あの天然親父は……っ。そういう甘ったるい台詞はおふくろの墓前で言いやがれっ!」
 照れ隠しまじりに吐き捨てて、ブロッケンJr.は立ち上がると、受話器と電話機を元あった棚の上に置き直す。
 その際、いささか大きすぎるほどの音が響いたが、棚も電話機も無事だったので良しとしよう。
 通話が切られる直前、実に楽しげな、悪戯が成功した子供のような忍び笑いの声がしたのを、ブロッケンJr.は聞き逃さなかった。
 間違いなく、確信犯だ。
 まったく、どうして、日常の天然かつ悪戯小僧のあの父親が、リングに上がると“ドイツの鬼”に化けるのか。
 今までの対戦相手達が知れば、己への情けなさに泣きたくなるに違いない。
 常日頃の行動は、訓練時の厳格さをどこに忘れてきたのか、とぼやきたくなるほどのほほんとしているのだから。
 息子としては、頭を抱えればいいのか、呆れればいいのか、微妙なところだ。
「……絶対、おふくろのこともそうやって誑しこんだんだろう……」
 若干乱暴に棚に置かれた為、少々配置がずれてしまった電話機を見下ろしながら、ブロッケンJr.はぶつぶつと呟く。
 ――もっとも、言葉では文句を言いながらも、その口元は微笑んでいたのだが……。
「……取り合えず……、朝メシにするか」
 吐息を一つ、ほう、と吐き出すと、至極現実的かつ建設的な呟きをこぼし、頭を一撫ですると、ブロッケンJr.はくるり、と電話機に背中を向けた。
 そのまま、キッチンへと足を向けようとして――居間を出る直前、ブロッケンJr.は足を止めた。
 廊下へと続く扉に手をかけたまま、居間の奥に置かれた電話機に、肩越しに視線を向ける。
「……帰ってきたら覚えてろよ、バカ親父」
 口端に浮かべた微笑に、わざとらしく苦笑の色を加えて。
 ぽつりと。
 回線の切られた電話機に呟く。
 そして。改めて扉にかけた手に力を込め、今度は立ち止まらずに居間から出て行った――――。






2004年文月下旬

天然爆弾、投下中(笑)
これは、以前から書こうと思っていた連作の第一弾になります。短くて四話、長くて五話かなあ?
第二話と第三話(伸びたら第四話も)にオリキャラが出張るので、ちょっと躊躇していたんですが。
風伯姫嬢にリクをいただいたんで、いっちゃえ♪みたいな(笑)
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