judge or forgive -2-
 トゥルルル……。
 ガチャ……。
『……伯父貴。決勝トーナメントの組み合わせが決まった。一つ勝ったらアイツとあたる。――オレは……。伯父貴がなんと言おうと、アイツを、殺す。伯父貴が認めなくても、オレは親父の仇を討つ。……それだけ、だ……』
 ガチャン……。
 ツーツーツー……。





 ――東京にある、とある病院の一室。
 そこに、ほんのつい先刻、超人オリンピック・ザ・ビッグ・ファイト決勝トーナメント二回戦Aブロック第一試合を戦った二人の超人が入院していた。
 ――本来は人間用の病棟だが、東京競馬場の近隣には超人病院はなかった為の処置だった。
 この二人の超人――ラーメンマンとブロッケンJr.の二人は、因縁が深い間柄ではあり、常識的には同室にするべきではないにもかかわらず、同じ病室に入れられたのには理由があった。
 超人レスリングにいくつかある不文律の一つとして、対戦した超人二人がともに治療を要する場合は同じ病室に入るべし、というものがあるせいだ。
 これも、『リングを下りればノーサイド』という超人レスリングの精神の表れとして存在している不文律だった。
 とはいえ、今回の場合に限って言えば、それは双方――少なくともブロッケンJr.の側から見れば――にとって、何のわだかまりなく同じ部屋にいれよう筈がなかった。
 だからだろう。
 ラーメンマンより軽傷であったこともあり、ブロッケンJr.は意識を取り戻して間もなく、病室から出て行ってしまっていた。
 その為、今、部屋にはラーメンマンしかいなかった。
 その二人部屋の病室の、閉じられていた戸がそっと開けられたのはちょうどそんな時だった。



 戸の開く音に、ラーメンマンは腕立ての体勢のまま動きを止め、視線をそちらへと向ける。
 入院先が人間用の病院であった為、ドクターはラーメンマンの怪我に血相を変えていたが、ラーメンマン本人の見立てでは、この負傷は準決勝のゴングが鳴る頃までには癒えているという確信があった。
 だからこそ、来るべく次の試合に備えて身体を動かしているのだが――これが病院関係者の目にとまれば騒がれることも事実である。
 その為、本来開け放たれていた病室の戸を閉めていた。
 戸を開けた人物はドクターか看護士であろうと目測を立て、視線を転じたラーメンマンだったが、実際にその人物を視界におさめ、その予測が外れていたことを知る。
 病室の戸を開け、その入り口に立っていたのは、一目で西洋人と分かる一人の男性だった。
 勿論、ラーメンマンの知る辺ではない。
 初めて見る顔ではあったが、何故か、どこか見覚えのある気がした。
「……貴方は……」
 身体を起こし、立ち上がりながらラーメンマンは首をかしげた。
 その短い問いの意味を正確にとらえたのか、その男性はそっと会釈をすると、ほんの少しドイツ訛りのある英国英語クイーンズ・イングリッシュがその口からこぼれでた。
「正面からお会いするのは初めてであると思います。――私は、ブロッケンJr.に縁がある者、とだけ申し上げておきましょう」
「ブロッケンJr.の……」
 小さく呟き、ラーメンマンは心の内で、得心がいったと頷いた。
 見覚えがある筈だ。
 この来客は、どことなくブロッケンJr.に似ている。どこが、といわれると具体的にはあげがたいが、とにかくそういう印象を受けるのだ。
「……残念ですが、彼は今、ここにはいないのです」
 当然、彼の見舞いに来たのだろう、と思い口にしたラーメンマンの言葉に、客人は小さく頷いた。
「――はい。そうであろうと思いました」
 返ってきた客人の言葉に、ラーメンマンは軽く眉間をしかめた。
 その、ラーメンマンの怪訝な表情を感じ取ったのだろう、客人は小さく微笑して見せて、先の言葉に補足を付け加える。
「……どうしても、貴方にお話したいことがありましたので。よろしいですか?」
 伺いを立てる口調だったが、その裏にある、引く気のなさを感じ取り、内心、首を傾げながらも、ラーメンマンは客人を室内へといざなう言葉を口にした。
「――ええ。どうぞ、中に」
「失礼します」
 今度は少し深めに頭を下げて、客人は片手に持った杖を突きながら室内へ足を進めた。
 足取りに不自然さはないが、歩を進めるごとにつく杖に重心をかけていることから、この来客が足を悪くしていることは間違いなさそうだった。
「座らせていただいても、よろしいですか?」
 丁寧な口ぶりで着席の許可を求める客人に、ラーメンマンは頷いてベッドサイドに置かれた丸椅子を手で示した。
「ええ、どうぞ」
 ラーメンマンの方も丁重な言葉遣いで、その客人に応じる。
 明らかに来客の方がラーメンマンより年長に見えたこともあるし、第一、初対面の相手にはそれなりの礼を尽くすべきであるからだ。
 客人が椅子に座ったのを視界の端で確認しながら、ラーメンマンも自分にあてがわれたベッドに腰掛けた。
 ラーメンマンが腰を下ろしたのをまるで待ち構えていたかのように、ラーメンマンが座るとすぐに客人は突然、深く頭を下げた。
 その行動に、軽い驚きを感じて目を見開いたラーメンマンだったが、まだ驚くには早すぎたことを知るのは、それからほんの数瞬後のことだった。
「ありがとう、ございます」
 頭を下げたままの客人の口からもれたのは、意外としかいいようのない言葉だったからだ。
「……? それは……どういう意味ですか?」
 流石に困惑を隠しきれない口調で、ラーメンマンは問い返した。
 先刻、この来客が口にした彼の立場からすれば、ラーメンマンは彼から礼を言われるようないわれはない筈だからだ。
 しかし、この客人は下げた頭を上げ、礼を逸しない程度の微笑を薄く顔に貼り付け、こう言った。
「――言葉の通りですが? ……感傷に囚われて、無抵抗のまま仇を討たせてやろう、などという無責任な行動に走るほど無思慮な方でなかったことを、本心から嬉しいと思っていますので」
 さらり、と言われた言葉に、ラーメンマンはまず納得を感じ、次の瞬間、こぼしそうになった苦笑を噛み殺す。
 穏やかな口調のわりには、中々辛辣で容赦がない上に正論なのだから、反論の仕様がない。
 確かに、結果的には復讐を遂げさせることはなかった。
 だが、最初は本懐を遂げさせるべきかと思ったのだ。
 そうすることが父親を殺したことへの償いではないか、と。
 だからこそ、無抵抗でブロッケンJr.の攻撃を受けた。
 しかし、彼には――ブロッケンJr.には、人を殺すことは出来ない。
 そのことが彼の攻撃を受けている内に、ラーメンマンには分かってしまった。
 それだけの実力はあっても、決して、死に至らしめる拳を繰り出すことは出来ないのだと。
 そんな人物が、ただ憎悪という感情のみを原動力にして人を殺めれば――取り返しのつかないことになると、ラーメンマンは悟ってしまったのだ。
 父親を殺し、その息子の心まで殺すことは――避けたかったのだ。
「……。あなたは……ブロッケンJr.が復讐を願うことに賛同していないのですか?」
 小さく首を横に振り、己の思案を一旦頭から追い出すと、ラーメンマンは、客観的に抱いて当然の問いを相手に投げかけた。
「当然でしょう。――復讐を為して、何になります?」
 しかし、逆に問い返され、ラーメンマンは返答に詰まる。
 加害者の立場にあるラーメンマンに答えられる質問ではなかったし、客人の方も答えを期待してはいなかったらしい。そのまま言葉を続けた。
「誰かを倒す。そんな具体的かつ局地的な目標を第一に置けば、その目的を達した後は、肉体的にも精神的にもそれ以上の成長は望めません。ましてや、何ものかを破壊する、という目的は往々にして逆行的な結果しか生み出さないものです。身内として、彼の今後の成長を妨げる決意にどうして賛同出来ましょう」
 客人の主張を聞きながら、正論だ、とラーメンマンは内心頷いた。
 論理としては間違ってはいない。
 ただし、復讐を受ける立場である以上、それを言葉に出して同調するわけにはいかなかったので、ラーメンマンはあえて相槌を打つこともせず、客人の話に耳を向ける。
「第一、倫理観を問うならば、リングの上で起こった何事もリングの下には持ち込まないことも、超人レスラーとしての倫理ではありませんか」
 一旦言葉をきり、困ったように口端を上げ目を細めた客人に、ラーメンマンは軽く首を振って、ようやく口を開いた。
「――論理としては正論ですが……。感情としては、納得出来かねるのではないのですか?」
 その問いに、客人の反応はなく、仕方なくラーメンマンは言葉の先を重ねた。
「わたしが言う筋合いではないでしょうが、わたしは彼に――ブロッケンJr.に恨まれるだけのことをしています。言い換えれば、貴方にとってもそれは同じことではないのですか? ――恨まれこそすれ、礼を述べられる謂われはない筈です。定まり事だからといって、そうも簡単に許せはしないでしょうに――」
 言葉を重ねながら、ラーメンマンは視線を己の膝の上で組んだ両の拳へと落とす。
 一年前、この手でブロッケンマンを――ブロッケンJr.の父親を殺したのだ。
 ブロッケンJr.の憎しみは当然だろう。
 そして、ブロッケンJr.の縁者である、というこの客人とて、ブロッケンマンとは縁浅からぬ筈だ。
 ブロッケンJr.がラーメンマンに向けるのと同じ、とは言わなくても、それに近い負の感情を感じてもおかしくはない。
 だというのに、何故、許すような言葉を口に出来るのか。
 それを、ラーメンマンは不思議に思っていた。
「…………許しているとでも、思っているのですか?」
 しばしの沈黙の後、発せられたのは、搾り出すような――苦痛のにじむ声音だった。
 その声に、ラーメンマンははっとして顔を上げる。
 そして、視界におさめた客人の様相の激変に、ラーメンマンは驚愕に目を見開いた。
「――身体中の骨という骨をへし折って……いっそ一思いに殺して欲しいと思うような苦痛の中で、人の形などとどめぬほどに砕き殺してやりたい、正気のままでなど死なせてやるものか……。そう思わなかったことがあるとでも、思っているのか……っ!」
 客人の独り言にも近しい呻きの声に、ラーメンマンは己の失言を知る。
 対面して座る客人は一見無表情に見えた。
 しかし、それは激情に歪みかけている顔を意志の力で抑えているだけだ。
 その中で、感情を押し殺しきれなかった両眼だけが、ラーメンマンを見る時のブロッケンJr.と同じ色を宿して、こちらに縫い付けられていた。
 そして、客人が片手に持つ杖が、強く握り締められ軋みの音をあげている。
 その様相に、ラーメンマンは一瞬で対峙する相手の内心を理解した。
 怒りを覚えていないわけでも、憎んでいないわけでもない。
 ただ、理性の枷でそれらを抑えているだけだと。
 本音で言えば、目の前の客人もまた、ブロッケンJr.同様、ラーメンマンを何よりも憎悪しているのだと。
 それを、明言しているブロッケンJr.とは逆に、必死に押さえつけていただけの話なのだ。
 目を見開いて凝視するラーメンマンの視線に、客人ははっとしたらしい。
 気まずげに視線を外し、小さく頭を下げ、短く謝辞を述べる。
「……。失礼」
「――いえ……。わたしのほうこそ、無配慮な発言でした」
 客人の謝辞に、ラーメンマンも深く頭を下げた。
 今の言葉は、自分のほうに非があった。
 ――まだまだ、未熟だな。
 そう我が身を省みながら、内心で苦笑とも自嘲ともつかない苦いものを噛みくだく。
 そして、そっと頭を上げた。
 再びおりた沈黙を、今度は静かな声音がゆったりと開いた。
「――ですが……。貴方を殺しても――ブロッケンは……彼は戻ってきませんから……」
 静かな、言葉だった。
 その言葉に込められた幾重もの感情や想いが、探るまでもなく察しられ、ラーメンマンはまた返答を逸した。
 それは、目の前の人物だけの言葉ではなく、この場にいないブロッケンJr.からも言われた言葉のように聞こえもした。
「復讐は……空しいだけです。死者は戻ってはこない。仇を殺しても――憎しみが消えるわけでもない。ただ、次の悲劇を呼ぶだけです」
 憎しみは風化したわけではない。
 ただ、もう、無駄なのだ。
 何をしても、過ぎたものは戻らず、壊れたものは元には戻らない。
 そんな、諦めにも似たものがこもった口調だった。
 そして、同時に実感がこもっている、ともラーメンマンは思った。
 黙って客人の話を聞くラーメンマンに、先程とは正反対の静かな眼差しを向けながら客人は、小さくこう尋ねてきた。
「……貴方にご家族は……?」
「――故郷に、妹が」
「……。では、貴方が死ぬとその方はきっと悲しまれるでしょうね……」
 そっと呟かれた言葉を聞き、ラーメンマンは目前の客人が何故、理性によって感情を抑圧するのか、理解出来た。
 復讐を遂げても、それによって生み出されるものは、新しい被害者――己と同じ立場の者をまた一人作るだけなのだと。
 復讐とは、無限に続く悪循環の輪に過ぎない。
 だから、誰かがそれをどこかで断ち切らねばならない。
 それを理解しているからこそ、怒りも憎しみも、飲み込むのだ、と。
 ラーメンマンがそれを理解したことに気付いたのか、客人はゆっくりと頷いた。
「そういう、ことなんです」
 その静かな声音には、責めるような色はなかった。
 ブロッケンJr.と同じ想いを抱えながら、しかし彼と同じ対応をしない理由はそれか、とラーメンマンはふと感じた。
 ブロッケンJr.より年長の分、この客人は彼より多くのものを知っている筈だ。そしてその分、ブロッケンJr.ほど己の気持ちだけに正直になることが出来ないのだろう、とラーメンマンは考えた。
「そして、彼にはその覚悟があったことも知っていましたから」
 続けられた言葉に、ラーメンマンは黙って耳を傾けた。
 この場合、『彼』とは誰を指しているか、考えるまでもなく理解出来た。
 間違いなく、それはブロッケンマンのことだろう、とラーメンマンは思った。
「彼は己の信念を貫く為に、多くの対戦相手をリングの上で殺してきました。そして、いつか自分が逆の立場に立つ日が来ることを誰よりも理解してもいました。誰かを殺すものは、いつか誰かに殺されることを」
 淡々と語る言葉の最後に、変わらぬ口調で告げられたのは、ひどく重い一言だった。
 再度、ラーメンマンの目が驚きに見開かれる。
 客人の口から語られる“ブロッケンマン”は、たった一度まみえただけのラーメンマンには気付き得なかった横顔を見せようとしていた。
 そんな覚悟を持って戦っていたとは、思ってもいなかったからだ。
 いや。それはむしろ、年を重ね、多くの経験を積んできた者にしか実感し得ないものなのかもしれない。
「例えレスラーでなくても……。いえ、超人、人間、あまたの動物の区別はなく、何者かの肉を食み命をつなぐ生き物は、すべからず、いつかは他者の糧になる日が――別の何者かに食われる日が来る。この自然の摂理を彼は理解していましたし、納得もしていました。そうであるならば、私に口を挟む権限はありません」
 言葉だけをとれば、素っ気ないといえるかもしれない。
 しかし、ラーメンマンには理解出来た。
 たとえ冷淡であろうと、その距離感を侵害しないことこそが、相手の意思を尊重することであるのだと。
「ですから――貴方もそれを理解していて欲しいのです」
 不意に、声音が変わったのを感じ、ラーメンマンは心の内で居住まいを正した。
 静かな視線を真っ直ぐに向けられ、ラーメンマンもまた、視線を逸らすことなく相手の目を真っ直ぐに見返す。
「貴方の命は、彼の命を糧として今ここにある、ということを」
 静かに告げられた言葉は、決して荒げられることはなかったが、今までのどの言葉よりもラーメンマンの内側へと斬り込んでくるような言葉だった。
 真っ直ぐに見据える眼差しは相変わらず静かだったが、その眼差しからラーメンマンは目を離すことは出来なかった。
「彼を殺して永らえた命である以上、例え泥を被っても生き延びる努力をしてくれなくては、困ります。そんな簡単に投げ捨てられては、彼の命が失われた甲斐がない」
 そこで、客人は初めて、本当に微笑んだ。
 どこか、苦笑にも似た笑みは、だが、ひどく優しいと、ラーメンマンは思った。
「つまり、これが貴方に言いたかったことの二つ目ですね」
 二つ目、というよりはこちらが本題であったのだろう、とラーメンマンは察したが、あえてそれを口にはしなかった。
「Jr.に対する配慮への御礼と――そして、これからの貴方自身への戒めを。ブロッケンの――彼の命の上に成り立っている命を、決して粗略に扱わないでいただきたい」
 それは頼む言葉ではあったが、ラーメンマンには、もっと切実な懇願のように聞こえた。
「もし、その命がついえる時がくるならば、それは貴方自身が貫くべき信念の為に命を賭けた時だと。その事を忘れずにいて欲しいのです」
 真摯な、願う言葉だった。
 そして、それはラーメンマン自身が受け取らねばならないものだった。
 むしろ、それを受け取ることは、ラーメンマンの義務だといってもよかった。
 だからこそ、ラーメンマンは客人の言葉に、深く頷いてこう応えたのだった。
「――――ええ。誓いましょう」
 決して大きくはない声だったが、はっきりとした口調で告げられたラーメンマンの宣誓に、客人もまた深く頭を下げ、そして、小さな声で礼を述べた。
「……ありがとう、ございます」



「――それでは、そろそろお暇します。一週間後の準決勝ではベストが尽くせるよう、調整には気をかけて下さい」
 杖を立て、ゆっくりと立ち上がりながら辞去の言葉を述べる客人に、ラーメンマンはわずかに目を見開き、逆にこう訊きかえした。
「――ブロッケンJr.には、会っていかれないのですか?」
 確かに、今、彼はここにはいないが、夕方にはドクターの検診がある。
 その時には病室に戻ってくるだろう、とラーメンマンが告げると、客人はそっとかぶりをふった。
「……今は、会わぬほうがいいかと」
 短い言葉だったが、その言葉に秘められた苦笑の成分をラーメンマンは見逃さなかった。
 もしかしたら、客人はブロッケンJr.にラーメンマンを訪ねたことを知られたくないのかもしれない。
 そういう可能性もありうると思い、ラーメンマンはあえてそれ以上ひきとめようとはせず、ベッドから立ち上がった。
 客を見送るのに、座ったままというのも礼儀の上ではよろしくないだろう。
 簡単な見送りの挨拶を口にしたラーメンマンに、客人はそっと目礼して戸に手をかけ、それを引き開け――そのままの体勢で硬直してしまった。
 それは、ラーメンマンも同様だった。
 開かれた戸の、そのすぐ先には……、そこに立っていたのは、他ならぬブロッケンJr.だったのだから。
 両の拳を握り締め、俯いたままの姿勢でその場に立ち尽くすブロッケンJr.の様子からは、そこにいたのはつい今さっきではなく、随分前からなのだとうかがいしれた。
「…………Jr.? 何時から……」
 驚愕の音も明らかな客人の声が、小さくこぼれる。
 その次の瞬間、弾かれたようにブロッケンJr.は踵を返して走り出した。
「待ちなさい!」
 脱兎のごとく走り出したブロッケンJr.を追おうとした客人の肩を、ラーメンマンの手がつかみ押しとどめる。
 風を切る音がしそうなほどの勢いで振り返った客人に、ラーメンマンは真っ直ぐに視線を注ぎながら、こう言った。
「――わたしに、任せていただけませんか?」
 ラーメンマンの唐突な申し出に、客人の方は瞬いて視線でその意を問うような表情を見せた。
 その眼差しの問いかけに対するラーメンマンの返答は、簡略ではあったがはっきりとした口調でこう言いきった。
「わたしはまだ、彼と正面から話をしていないのです」
 それは、純然たる事実だった。
 ラーメンマンとブロッケンJr.は、いまだまともに言葉を交わしてはいなかった。
 ブロッケンJr.の立場からすれば、話すようなことはなかっただろうし、ラーメンマン自身、語るべき言葉はないと思っていた。
 何故なら、今、何を語ろうとそれは言い訳にしかならないと思っていたからだ。
 ブロッケンマンを――ブロッケンJr.の父親を殺したという事実がそこに横たわっている以上、ラーメンマンがどんな言葉を口にしようと、それは己の罪を回避しようとする逃げ口上としか映らないであろう。
 ラーメンマンはずっとそう考えていた。
 だが。
 語らぬこともまた、逃げなのだ。
 そのことに、ラーメンマンは気付いた。
 ブロッケンJr.の断罪を、受け入れるだけではなく、それに対して言うべき事を言わねばならない。
 それは、ラーメンマンだけが負うべき義務なのだ。
 そんな、言葉にしない意思を察したのか。
 客人はわずかに身じろぎしてラーメンマンに向きなおすと、軽く頭を下げた。
 お願いします、と。
 言葉にはせず、仕草だけで示された託す意に、ラーメンマンは小さく頷き、そしてブロッケンJr.の後を追い走り出した。






2004年葉月中旬

+
オイ、怪我人! とツッコミつつ(笑) 続きます。次はようやく、原作キャラのみで話が書けます(失笑)
この話のプロット自体は『依頼』を書いている時期にはほぼ出来ていました。
そこから実際書き出すまでに期間があいたのは、出さざるを得ないとはいえ、オリキャラが出張るからです。
何故なら復讐の悪循環と空しさを説ける人物が加害者であるラーメンマンしかおらず、その説得をJr.が素直に聞ける筈がないからです。
即ち、二人の間を取り持つことが出来る――被害者の立場を痛感しながら、超人レスラーの業も理解している人物が必要でした。
だから、彼はブロッケン一族であり、『元』超人レスラーなのです。
ブロッケン親子に近しく、そして、リングの上で命を奪ったこともあり……最後には逆にレスラーとしての生命を絶たれた存在として。
こういう事情で、どうしてもキーストーンがオリキャラにならざるを得ず、今まで躊躇していたんです。

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