judge or forgive -1-
 ――古風なデザインの電話機が、鈴を模した呼び出し音を鳴り響かせる。
 それが、日常を一変させるきっかけだった――。





「Hallo?」
 受話器を上げ、短くお決まりの文句を告げる。
『……Jr.か……?』
 わずかな沈黙の後、囁くような細い声音が、受話器を当てた耳に滑り込んできた。
 常とは異なるひどくか細い声だったが、その声の主が誰か、ブロッケンJr.にはすぐ分かった。
「伯父貴? どうしたんだ?」
 電話の相手はブロッケンJr.の伯父――彼と同じ、ブロッケン一族の超人レスラー……であった、人だ。
 あった、と過去形なのには意味がある。
 西ドイツ国内では、ブロッケンJr.の父親と――ブロッケンマンと並び立つ実力者だったのだが、数年前、リングの上で負った傷がもとで若くして引退を余儀なくされ――超人の証である髑髏の徽章を返還していた。
 引退後も、超人レスラーの世界から完全に離れるのは出来なかったらしく、今はブロッケンマンのトレーナーをしている。
 この伯父とブロッケンマンは同年の従兄弟同士で、ほとんど生まれた時から共に育ち、苦しい修行に耐えてきた――いわゆる親友、ともいえる間柄だった。
 ブロッケンJr.の母親が彼を産んですぐに亡くなった後は、男手一つで息子を育てるブロッケンマンを案じ、何くれとなく手助けもしていたのだった。
 そういった事情もあり、伯父という人はブロッケンJr.が物心ついた時から一番身近にいる――父親の次に近しく親しい存在、といっても過言ではなかった。
『……Jr.。落ち着いて、聞いてくれ』
 そういう、伯父の声のほうが、よほど揺らいで聞こえた。
 常日頃、落ち着いた穏やかな人柄を特徴とする伯父にしては珍しいことだと、ブロッケンJr.は受話器を耳に当てたまま首をかしげた。
『――ブロッケンが……君のファーターが、亡くなられた』
 かすれた声音が、搾り出すように告げた言葉に、ブロッケンJr.は息を呑む。
「な……んだって……?」
 驚愕の中、ブロッケンJr.はかろうじて、それだけの言葉を搾り出した。
 後になって、よくこの時、受話器を取り落とさずに済んだものだ、と、思い返すことになるのだが――その時のブロッケンJr.には、そんなことを考えるゆとりなど、ありはしなかった。



 伯父と――ブロッケンマンの遺体の収められた棺とがチャーター便で帰国したのは、その電話の翌日遅くのことだった。
 父親の霊柩は、屋敷につくなりそのまま広間に運ばれた。
 葬儀にかかわる手配や雑事はすべて伯父が取り仕切り、ブロッケンJr.はただ、棺の置かれた広間に椅子を置き、棺に対して黙って座っているだけだった。
 目前に安置された棺の中に父親の遺体がある。
 けれど、ブロッケンJr.は、その中身を見てはいなかった。
 棺の蓋にはしっかりと釘が打たれ、この屋敷に戻ってきてから一度も開けられていないからだ。
 実際に父親が死んだ光景を見ていないこともあって――国内外を問わず、その試合は公共電波にのることはなく、記録映像も残されていなかった――ブロッケンJr.には、父親が死んだ、という実感が得られないでいた。

 ――本当に、この中に親父がいるのかな……。

 ぼんやりと、そんな言葉が脳裏をよぎった。
 それも無理はないだろう。
 数少ない、そしてもっとも身近な身内が――たった一人の親を亡くして、その死の姿も知らずにあっさりと父親の死を受け入れるには――彼ら父子の絆と間にあった情は、深すぎた。
 ゆっくりとした動作で、ブロッケンJr.は椅子から腰をあげ――音もなく目前の棺へ徒歩を進める。
 そして、そっと釘の打ち付けられた棺の蓋に手をかけた。
 ガタ……。
 棺と蓋とをつなぐ釘が、乱暴な扱いに対する不平の声を上げる。
 それを無視し、ブロッケンJr.は蓋を持ち上げようとする手に力を込めた。
 釘は、しっかりと打ち付けられていたが、超人の腕力を持ってすればこじ開けられないことはない。
 無理矢理、持ち上げようとされ、打ち付けられた釘が少しずつ緩み始めた。
「……Jr.……!? 止めなさい……っ!」
 ガタガタと、蓋が上げる悲鳴に、不意に、背後からこちらは正真正銘の人の声の悲鳴が重なった。
 ブロッケンJr.が振り返る前に、その声の主は――伯父はJr.にほとんど倒れこむように抱きつき背後から手を伸ばし、彼の腕を押さえようとする。
「止めなさい……! 止めるんだ!!」
 悲鳴、というよりは絶叫にも似た声音で、蓋を開けようとするブロッケンJr.を押し止めようとする伯父に、ブロッケンJr.も――父の死を聞かされてから初めて――声を荒げて言葉を吐き出した。
「……嫌だ……っ!!」
「Jr.っ!!」
 否やを述べるほうも、それをたしなめる方も、悲痛としか呼べない語調で叫んでいた。
 ガタガタと、棺の蓋があげる乱暴な扱いに対する抗議の音は、いっそう大きくなっていく。
「親父が死んだなんて……遺体も見てねえのに、納得出来ねえよ!!」
「駄目だ……っ! 見ないほうがいい――見ないでくれ……!!」
 止める方も必死だが、開けようとする方も引く気はない。
 そうなると、両者の力の差異が事態の方向性を決めるわけだが、この場合、制止者にはいささか分が悪い勝負だった。
 どちらも、同じ訓練をつみ同様に鍛えられてきた者だが、今、甥は徽章をつけているが、伯父の方はそれを身につけていない。
 超人と人間同然の身という腕力の差は、埋めようがなかった。
 ガタガタと、音をたてながら、棺の蓋は徐々に上がろうとしていた。
 バリ……ッ!
 音をたてて、釘が棺の木片を剥ぎ取りながら抜ける――。
「…………」
 ガタン……。
 ようやくこじ開けた蓋が、床に落ち、やけに大きな音を響かせた。
 蓋を失った棺に視線を落としながら、ブロッケンJr.は声もなく、それ、を凝視する。
 その腕をつかむ伯父の指が食い込むように二の腕を握り締めた感覚にさえ気付かぬほど――父の遺体の有様に、ブロッケンJr.は我を忘れていた。

 どこか不自然さの残る顔面は、一度外れた顎を死後にはめ直したからだろう。
 生前そのままに軍服が着付けられた身体も、どこかおかしい。
 ――胴だ。腹の辺りが、何か不自然なのだ。
 瞬きを忘れたように目を見開いたまま、ブロッケンJr.は父の遺体に――その腹の辺りに手を伸ばす。
 指先が触れた瞬間、一瞬躊躇うようにその指が引っ込んだが、わずかな躊躇を振り切って、遺体にその掌を押し当てた。
 ……その、異様な感触に、ブロッケンJr.は、呼気さえ忘れた。
 その胴体には、本来ありえぬ筈の窪みがあったからだ。
 掌を遺体に押し当てたまま、しばらく動きを止めていたブロッケンJr.だったが、不意にもう片方の手も伸ばし、父親の遺体に着せられた軍服の前身ごろを乱暴に開いた。

「――Jr.!!」
 ――背中で伯父の悲鳴があがるのが先だったか、それ、を見たブロッケンJr.が凍りついたのが先だったか……。
 ありえない傷口がさらけ出された――上半身と下半身に引き裂かれた父親の遺体を、ブロッケンJr.は呆然と見つめるしか出来なかった。
「…………なんだよ、これ……」
 呻くように、搾り出されたブロッケンJr.の背で、伯父が言葉に詰まったのが、気配で分かった。
 けれど、まだ十七歳の少年には、己の感情だけで手一杯だった。
「なんだよ、これ!!」
 怒号なのか、悲鳴なのか。
 判別の難しい絶叫があがる。
 ――その、答えを返せる筈の唯一の人が、応えられる筈も無かったのだが。
 しかし、ブロッケンJr.の叫びは、決して答えを求めたものではなかった。
 ――この場で、それが救いになるわけでもなかったが。
「畜生……畜生! 殺してやる……親父をこんな風に殺した奴を殺してやる!!」
 続く絶叫を、激情にまかせて吐き出したブロッケンJr.に、背後の伯父が息を呑む気配がした。
 それは、顔も知らぬ――名しか分からぬ相手へと投げつける憎悪の叫びだった。
「Jr.! 何を言うんだ!?」
 甥の物騒な発言に、明らかに動揺を見せる口調でたしなめの言葉をつむぐ伯父に、ブロッケンJr.は逆に語調荒く言い返す。
「伯父貴こそ、何言ってんだよ!? 親父は殺されたんだぞ! ……それも、こんな風に!!」
 語尾荒く、言い吐き、ブロッケンJr.は先ほどの制止の際、そのままつかまれていた伯父の腕を振り払い、後ろを振り返った。
「なのに、親父を殺した奴を許せるのかよ!? ……そんなの、出来るわけねえだろ!!」
 ブロッケンJr.の言い分に、伯父は顔色を変えて首を振った。
「Jr.! そんなことは言ってはいけない……。復讐など、ブロッケンは――君のファーターは、決して望まない!」
 良識と節度の面から見れば正論ともいえる発言だったが、この場合、大きすぎる感情の波にさらわれた相手には、それは逆効果でしかなかった。
「っ! 親父が、こんな殺され方に納得してるとでも言うのかよ!?」
 言い吐き、唇を噛みしめるブロッケンJr.に、伯父は低く言葉を搾り出す。
「……。覚悟は、していた筈だ。それは、超人レスラーなら、誰もが抱かねばならない、覚悟だ」
「死に方ってもんがあるだろ!!」
 激情のまま吐き捨てたブロッケンJr.の一言に、伯父は言葉を詰まらせた。
「なんで、そんな……そんな事言うんだよ? 伯父貴は悔しくないのかよ!? 親父が殺されて……なんで、そんな風に平然としてられるんだよ!!」
 激昂に任せて、ブロッケンJr.の口から駆け出した言葉が、それ以上の反論を封じてしまった。
「オレは……オレは許さねぇ!!」
 返す言葉を発することも出来ない伯父の様相も目に入らず、ブロッケンJr.はただ激情が示すままに、決意の言葉、というよりは、駄々にも似た感情論を吐き出した。
「親父の殺した奴を殺してやる……! 親父の仇を、絶対に討つ!!」
 言い捨て、ブロッケンJr.は踵を返すと、広間から走り去っていった。
 父親の棺の側に言葉なく立ち尽くす伯父を残して――――。



 バタン……!
 広間から走り出したブロッケンJr.は二階のある一室へ向かうと、その部屋の扉を力任せに押し開いた。
 そこは。
 父・ブロッケンマンが愛用していた書斎だった。
 壁の一面を埋め尽くすほどの大きな書棚に、隙間なく納められた書籍の数々は、ブロッケンJr.の本好きを芽生えさせた要因の一つにもなったものだ。
 そして、窓を背に置かれた書机。
 その上には、死んだ母の懇願に負けて写すことになったという両親の写真が収められた写真立てが置かれていた。
 一歩、二歩、と……おぼろげな足取りでその机に近付くと、ブロッケンJr.は机の上に上体を押し付けるように突っ伏した。
「……親父……」
 机に顔を埋めたまま、呟いた声は――思いもかけないほど、震えていた。
 思えば。
 ブロッケンJr.が初タイトルを獲得した、翌日のあの電話。
 思えば、あの電話が父と交わした最後の会話だった。
 そして、あの言葉が――父の最後の言葉だった。

 ――愛しているぞ、Jr.。

「バカ野郎……」
 そんな言葉だけ、遺して欲しくはなかったのに。
 生きて、還ってくると疑ってもいなかったのに。
「バカ親父……」
 呟いた言葉は、もう――嗚咽にしかならなかった…………。






2004年葉月上旬

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痛い……。多分、これが一連の流れで一番痛い部分です(苦笑)
連作の中での位置づけは、『Last Word』が序章ならこれは前編になります。
結局、葬儀のシーンは出ませんでしたが、この話を書き出し始めた時はその辺が確定してなかったので、一応調べてみたんです。
そしたらネットじゃ葬儀社のHPばっかりで日本風の葬儀の心得しか分からない。
違う、知りたいのはプロテスタントの葬式の形式だ!!(号泣)
仕方ないので図書館に行きました。ほんの数行しか載ってない本一冊しかなかったですけどね(泣)

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