依頼
 不意に診療所に現れた訪問者は、かつて自身が治療を施した患者だった。



「おお、久しぶりじゃな」
「お久しぶりです、ドクター・ボンベ」
 患者の途切れた時間帯を見計らってやってきた客人は、笑んで迎えたドクター・ボンベに挨拶の言葉を口にしながら、診療室の入り口で軽く頭を垂れた。
「元気そうでなによりじゃよ。さあ、座るといい。長く立っているのは辛かろう」
 笑みを浮かべたまま、ドクター・ボンベは己の前に置かれた椅子を示し着席を促した。
「……失礼します」
 そのすすめに客人は小さく笑って頷き、ゆっくりと室内に歩を進める。
 コツン、コツン……と響くのは、客人の足音と――彼の持つ杖が床を叩く音。
「どうかね、足の具合は」
 目前の椅子に腰掛けた客人を上から足元まで軽く眺め見、ボンベは静かに何気ないような口調で訊ねる。
「――おかげをもちまして、日常生活に支障はありません」
 その問いに、客人も静かに微笑み応じた。
 あくまで静かな――透明な微笑で。
 その微笑みに、ドクター・ボンベはわずかに目を細めて、微笑とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべた。
「……今は、どうしておるのかね」
 短く近況を尋ねれば、そのままの微笑と穏やかな語調で応えが返る。
「先年までは、友人のトレーナーをしていました。今は――事情があってリングサイドから離れていますが」
「……そうか」
 この客人はかつて、ドクター・ボンベの患者だった。
 試合で負った怪我が原因で歩くことも出来なかった彼に、持てる限りの力を尽くし治療を施したが……結局、彼を再びリングの上に立たせることは出来なかった。
 これ以上の回復は見込めないと伝えた時、彼が意外なほど落ち着いていた事を覚えている。
 ボンベを頼ってハワイに来た時、既に自国中の医者から車椅子から下りることは出来ないだろうと云われていたと聞いていたから、とうに覚悟はついていたのかも、知れない。

「――それで、今回お邪魔させていただいた理由なのですが……」
 少し微笑を引き、控え目に切り出した客人に、ドクター・ボンベは無言で先を促す。
「実はドクターに診ていただきたい人物がいるのです。ただ、その人物は私の時よりも重症で――申し訳ないのですが、ドクターに足を運んでいただくことになるのですが……」
 ボンベにとっては珍しくもない、患者の仲介。
 奇異の念を覚える事もなく、今度は言葉で続きを促した。
「ほう? どこにおるのかね?」
「終点山です」
 即座に告げられた地名に、ドクター・ボンベは眉根を寄せた。
「――終点山に、おるのかね」
 終点山。
 あらゆる医者に見離された者達が、最後に行き着く場所。
「はい。――これが、その人物のカルテです」
 そう云って客人が差し出した書類袋を受け取り、中の紙面に目を通す。
 書面を追う視線が進むたび、ドクター・ボンベの表情は険しさを増していた。
「…………これは――」
「――無理を申し上げているのは、承知の上でお願いいたします。是非、診療していただきたいのです」
「……何故じゃ?」
 深々と頭を下げる客人の姿に、ドクター・ボンベは軽い困惑にも似た色を宿した問いを投げかけた。
「何故、お前さんはこの超人をそうまで気にかける? お前さん達の間にそれ程密な接点があるとは思えんが」
 カルテに記されていたのは、先頃、大々的に行われた大会に出場していた超人の名。
 その超人が致命的な傷を負った試合はテレビ中継で世界的に取り扱われていたものだったゆえに、ボンベもその超人のことは知っていた。
 だからこそ、分からなかった。
 目前の客人とは、国も違い、年齢も離れ、つながりを持つ機会があったとは思えなかった。
「……そうですね、直接的なつながりはありません。ですが、私は彼に恩義を感じているのです」
 客人はそう云いながら、苦笑とも自嘲ともとれぬ微笑をこぼしてわずかに目を伏せた。

「私の甥を、止めてくれました」

 そうしてぽつりと呟かれたのは、そんな一言だった。
「甥は、彼を仇と憎んでいました。必ず自分の手で倒し仇をとるのだと」
 次に続いた言葉に、ドクター・ボンベは閃くものを感じた。
 客人の故国。
 そして、件の超人を仇と呼ぶ人物の出身国。
 双方を照らし合わせれば、予感は限りなく確信に近付く。
「ですが、私はその決意を肯定することは出来ませんでした」
 淡々と語られる言葉に、ドクター・ボンベは静かに耳を傾けた。
「むしろ否定していました。故人もそれを望んではいないだろうという確信が私にはあったのです。けれど、甥には私の主張は受け入れられなかった……」
 わずかに語尾が揺らぎ、膝の上で組まれた拳に力がこもるのが、見て取れた。
 そして、短い沈黙。
 それを、軽く頭を振ることで振り払い、客人は更に続けた。
「……甥の気持ちは、分かるのです。確かに彼は甥に仇と呼ばれても仕方がない。……けれど。それは、リングの上でおこったことです。試合で何がおころうとも、それをリングの外にまで持ち出すべきではない」
 語尾強く、言い切る。
「勿論、超人レスラーとしての倫理の他にも、甥を止めた理由はあります。復讐を目的にしては、甥のあらゆる意味での成長を妨げるとも思いました。何より、殺された本人はリングの上で死ねた事を本望と思っているだろう、という確信もありました。けれど、理屈や論弁では甥を止めることは出来なかった……」
 それは、客人にとって苦い記憶なのだろう。
 膝の上に置かれた手が、いっそう固く握りこまれていた。
「――それを、彼は止めてくれました。文字通り我が身をもって」
 そうして呟きだされた一言。
 その言葉を口にした瞬間、客人の握りこんだ拳が、わずかに緩んだ。
「私は伯父として彼に礼を返したい。けれど、私には彼に対して何を返す術もない……。出来るのはこうやって、彼を快癒させてくれる術を探すくらいのものです」
「なるほど……。それでわしを頼ってきたというんじゃな?」
「勝手は充分承知しています。ですが……」

「――分かった。引き受けよう」

 ドクター・ボンベの口から意外なほどあっさりと吐き出された短い返答に、客人は少し驚いたように――と、いうよりは拍子抜けしたように――顔を上げボンベを凝視した。
「お前さんがそこまで肩入れする男じゃ、わしも興味を持った。完癒を約束は出来んが、わしも出来うる限りはしよう」
 興味。
 そういったが、ドクター・ボンベの心中をその言葉は正確に言い表しているとは言い難かった。
 むしろ――話題の超人を惜しい、と思ったのだ。
 客人の『甥』ばかりではなく、客人自身から見ても、その超人は決して好意の対象になり得ない筈だ。――本来なら。
 だというのに、その相手をなんとしても救いたいともがいている――そう思わせる、男。
 そういう超人を、むざむざ失わせるのは惜しいと思う。
 超人界の未来に、きっと必要な男だろう。
 ならば――ドクター・ボンベの医術の全てを尽くして、もう一度リングに立たせてやりたい。そう、思ったのだ。

 ドクター・ボンベの快諾に、客人は――笑った。
 安堵したように、喜ぶように、笑って――深く……深く頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」





 ――――それが、一つの奇跡を呼ぶきっかけだった。






2003年葉月制作

そして、ドクター・ボンベはラーメンマンの主治医になった。
駄目?
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