追憶悲譚
「……ハワイに来るのは二度目じゃが、お前と二人で来たのは、初めてじゃな」
 ぽつり、と。
 傍らに立つ親友が呟いた。

「そうだな……オレも同じだ」
 囁くように。
 隣に立つ無二の友がその呟きに応えた。



 ハワイの地に二人が――キン肉マンとテリーマンの二人が、降り立ったのは、トーナメントマウンテンでの戦いを終えて一月たつかたたぬかの頃だった。



 一ヶ月前のトーナメントマウンテンの戦いで、キン肉マンの師であるプリンス・カメハメが命を落とした。
 そして、その長年の親友であったドクター・ボンベもまた、我が身に巣食う病魔の進行を止めきれず息を引き取った。
 共に、正義超人の友情の灯火を守る為に……。

 二人の遺体は、一度は富士の地に同じ墓穴の中へと葬られたが、やはり、長い年月を過ごした地に眠るほうが良かろう、という話になり、あらためて、ここ、ハワイに墓を作り、そこに葬ることとなった。
 そして。
 二人は、その為にハワイへ足を運んだのだった。
 簡略かつささやかながらも、区切りとしての正式な葬儀を済ませ、それぞれの遺品を整理した。
 とはいえ、二人とも整理するほどの遺品はなかったが。
 カメハメはもとより身の回りにあまり物を置かない性質ではあったようだが、そればかりが理由ではなさそうだった。
 カメハメにしろ、ボンベにしろ、日本へ向かうにあたってそれなりの覚悟を決めていたのだろう。
 二人の私物は、ほとんど片付けられていたし、ボンベの診療所も、日本へ発った折に、弟子達に今後のことをすべて任す、と言い置いていたそうだ。
 その覚悟が、二人ともこの世を去った今となっては、キン肉マンやテリーマンにとっては少し辛いものがあった。
 彼らが、それだけの覚悟を決め、富士の地に立ってくれたからこそ、正義超人の友情の火を消さずにすんだ。
 そして、彼らが投げ出した命があったからこそ、二人は今ここに己の足で立つことが出来るのだった。
 しかし。
 犠牲の代償があろうとも、失われたものを思えば無条件に喜ぶなど出来よう筈もなかった。

 さく……さく……。
 小さな呟きを一度交わしたきり、会話のないまま、二人は人気のない――観光地から離れた――夕暮れの砂浜を歩いていた。
 言葉のない二人の間にあるのは、砂が鳴らす小さな足音と、寄せては返す波の音だけだ。

 不意に、キン肉マンが足を止めた。
 無言で、テリーマンもそれにならい、立ち止まる。
 そして、キン肉マンの視線の先を、眼差しで追う。
 目線を向けたそこにあったのは、浅瀬に直立の状態で立てられた一本の丸太と、砂浜に組み上げられた鉄鋼の骨組みだった。
 その建造物を視界に捕らえた後、テリーマンはゆっくりと傍らのキン肉マンに視線を移した。
 夕焼けに赤く染められた親友の横顔には、懐かしげな眼差しと同時にどこか寂しげな表情が浮かんでいた。
 ……その表情だけで、それがどのような思い出につながるものか、解った気がした。
「……キン肉マン」
 静かな声音で、親友の名を呼ぶ。
 友の呼びかけに、キン肉マンは目線はそのままに、かすかに口元に微笑を浮かべて、囁くように言葉を発した。
「……三年前……ここで修行しておった頃、師匠がバランス感覚を鍛える訓練に使っておったものじゃ。……鉄球は……外してしもうたようじゃのう」
 その顔に浮かぶ表情そのままの、懐かしさと寂しさの入り混じる口調で、キン肉マンは遠い日の思い出を告げる。
「……そうか……」
 その言葉に、頷き、あいづちをうちながらテリーマンはじっと親友の横顔を見つめていた。
「……わたしに修行をつけておる間も、師匠は自分のトレーニングを怠ることはなかった。筋肉トレーニングや柔軟性を養う訓練……。それを見ておったからのう。師匠が……百までファイトが出来ると……医者のお墨付きじゃと言った言葉を、わたしは疑いもしなかった……」
 小さな声で続けられた回想は、言葉が重なるごとにその語調にかすかな揺らぎを帯びていった。
 それは、声ばかりではなく。
 キン肉マンの顔も、笑おうと……微笑もうとはしていたが、それは成功しそうになかった。
 笑みを形作ろうとしている口元はかすかに歪み、眉間には必要以上の力が込められていた。
 ――それは、誰が見ても、泣き出す一歩手前の表情と声音だった。
「――キン肉マン」
 小さく、名を呼び、テリーマンは腕を伸ばし親友の肩を抱くと、そのまま、キン肉マンの頭を自分の肩の方へと引き寄せた。
 そして、親友の肩を軽く二、三度、ぽんぽん、と叩く。
「…………わたしは……バカじゃ。師匠はもう七十を越えておったのに……そんなことをすっかり忘れておった。亡くなられた後もすぐにあの世に行けぬほど心配をおかけして……。ドクター・ボンベまで死なせて……。なんと不出来な弟子じゃ……」
 かすかな揺らぎは、もはや本格的に声音を揺らし、その肩をも震わせて始めていた。
 震えるその肩を、慰めるように……宥めるように、テリーマンの掌がゆっくりとさするように触れる。
「……キン肉マン。それを言うなら、オレも同じだ。オレも、プリンス・カメハメにはお手数ばかりかけさせた……」
 親友の頭を埋めさせた自身の肩に、かすかに濡れた感触を感じながら、テリーマンは静かに口を開いた。
「……お前の……お前だけのせいじゃない、キン肉マン。カメハメの死に責任があるとしたら、それは、オレ達全員の責任だ。……友情を、確かに掴みきれなかったオレ達の……」
 言いながら、キン肉マンには気付かれぬよう、そっとテリーマンは痛みを堪えるように眉間をしかめ、唇を噛みしめた。
「――自分を責めるな、キン肉マン。きっと、カメハメは……お前がそう思うことを悲しむと思うぞ……」
「……テリー……」
 それに、と親友の肩を抱いたまま、テリーマンは言葉を続けた。
「ドクター・ボンベも一緒だ……。きっと、今頃はあの世でチェスの続きでもしているさ――」
 昼間、ドクター・ボンベの診療所で見たチェス盤を思い出し、テリーマンはそんな言葉をつむいだ。

 ボンベの私室、そのテーブルの上に置かれたチェス盤は、対局の途中の状態で駒が放置されていた。
 不思議に思い、弟子の一人に尋ね、その理由を知った。
 カメハメが日本へ立つ直前、ボンベの元を訪ねたこと。この対局は、その時二人がさしたものだということ。――そして。カメハメが戻った時に続きを為すことを約していたこと……。
 その約束は、現世では果たされることはなかったが、時を同じくして死した親友達は、きっとその約束を死者の世界で果たしたに違いない。そう、信じたいと思った。

「無二の友と、同じ時に死ねるなら……寂しくはないだろう――」
 先に逝かれるのは、辛い。友の死を見ることほど、悲しく辛いことはない。
 先に逝くのも、躊躇われる。残された友の嘆く様を考えれば、安心して逝くことも出来ない。
 だが、共になら。己が感じる辛さも、友の嘆きも、軽減されるのではないかと、思えた。
「……嫌じゃ」
 だが、呟いたテリーマンの言葉に、不意にキン肉マンの口から否定の語が飛び出した。
「わたしは、嫌じゃ。みんなが先に逝くのも嫌じゃが、一緒に逝くのも嫌じゃ! わたしよりずっと長く生きてくれねば嫌じゃ!!」
 顔を下に向けたまま、思いもがけない強い語調で、キン肉マンは叫ぶようにそう言葉を吐き出した。
「……キン肉マン」
 駄々をこねるような口調で、切ないほど優しい我が侭を押し付ける親友に、テリーマンは目を見開いてただ名を呼ぶしか出来なかった。
 下に向けたままのキン肉マンの顔、その目元から、ポツリと何かが落ちて足元の砂に染みのように跡を残す。
 それが何か、など、顔を上げさせ確認しなくても、分かった。
「絶対に、嫌じゃ……。師匠が、ドクター・ボンベが……ウォーズマンが死んでしもうた上に、どうして、テリーまでそんなことを言うんじゃ。そんな、死んでも良いようなことを言わんでくれ」
 俯いたまま、搾り出すように紡ぎ出された言葉は、震えてはいてもはっきりとした語調で、テリーマンの耳を打つ。
「……すまん、キン肉マン。そんなつもりはなかったんだが……。悪かった」
 そっと……テリーマンは両手を動かし、親友の背を抱き、宥めるようにその背を軽く叩いてやる。
「……嫌じゃ。もう、誰かが死ぬのは……嫌なんじゃ……」
 友の肩に顔を埋めたまま、耳をすまさねば聞こえぬほどの小さな声で、キン肉マンはそう呟いた。
 そして――ほんの少し、躊躇いがちに……キン肉マンの腕が、テリーマンの背に回された。
 そのまま、その指先はテリーマンのシャツを強く掴む。
 その動作にわずかに遅れて――テリーマンの肩に埋められたその顔、隠れてしまった口から、声にならない嗚咽がこぼれ落ちた。
 それは、今まで流す機会を逸していた、亡き師と、命を救ってくれた恩人の死と、命を落とした友への涙だった。
 激昂をきっかけに、堪えきれず漏れでた慟哭だった。
 師を亡くした痛手に、友の死に、言葉なく泣きじゃくる親友の背を。
 テリーマンは、ただ、黙ってさすり続けたのだった――――。






2004年水無月下旬

……しまった。予定以上に泣かせちゃった(汗)
いえ、師匠の死亡報告を聞いた時は決勝真っ只中だったので、悲しんでる暇もなかったでしょ?
でも、スグルくんのことだから、きっと、その後こっそり泣いたんだろうなあと思ったんです。
そして、その時そばにいるのはテリーだろうな、と。
きっとビビンバの前では泣かないんだろうな。スグルくんも男の意地にこだわる人だし。
大きな戦いを重ねた後なので、やっぱり、「もう死なれるのは嫌だ」と思ってただろうな、とも思ったわけで。
取り合えず、スグルくんの主成分は優しさです(笑)
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