てのなかのぬくもり
 柔らかな陽光が降るサンルームで。
 揺りかごに寝かせた赤ん坊に、穏やかな眼差しをそそぐ母親の姿。

 その、まるで絵のように優しい光景に、ウォーズマンはしばし、声をかけることも忘れていた。
 奥様、と彼の代わりのようにハウスキーパーが彼女に声をかける。
 呼びかけられ、その人――アリサは、顔を上げて……そしてその美しい顔に似合いの笑みを浮かべて、立ち上がった。
「いらっしゃい。元気だったかしら?」
「――お久しぶりです、アリサさん」
 夫の弟子であり、自身から見ても長い付き合いになる相手の訪問を無条件に歓迎するアリサに、ウォーズマンはほんの少し控え目に微笑して、頭を下げた。
 そして、少し慌てて、言葉を補った。
「あの……おめでとうございます」
 短く、子供の――それも待望の男の子の――誕生を祝う言葉を述べる。
「……ありがとう。今は寝ているのだけど……顔だけでも見てもらえるかしら?」
 不器用ながらも心のこもった祝辞に、アリサはいっそう笑みを深め、そして、彼を揺りかごの側へと手招いた。
「勿論です」
 にっこりと微笑んで――目元以外は判別の出来ないマスクをつけているというのに、彼は表情が豊かだ――ウォーズマンは揺りかごの側に歩み寄る。
「今日はロビンは超人協会のお仕事で出掛けているのよ。ごめんなさいね、折角、来てくれたのに」
 折角の訪問の折だというのに不在の夫を残念がるように、謝罪の言葉を述べるアリサに、ウォーズマンはかぶりを振った。
「いえ、気になさらないで下さい。確か……今、ロビンは英国超人協会の理事をしているのでしょう? 忙しくても仕方がありません」
 実の所、ロビンマスクという人物は、相当な仕事の虫だ。むしろ、忙しければ忙しいほど精力的に仕事をするタイプの男だ。
 そして、その理由は、アリサには見当が付いている。

 必要とされていることが嬉しいのだ。――仕事が忙しい、ということは逆を返せば、それだけ必要とされている、ということだから。

 内心で溜め息をついたアリサに気付かぬふうで、ウォーズマンは揺りかごの中を覗き込んだ。
 揺りかごに寝かされた赤ん坊は、すやすやと、細い寝息をもらして、安らかに眠っていた。
 卵の広がった側を下にして置いたような輪郭の、赤い顔をした赤ん坊の頭部には、母親と同じ金色の頭髪が短いながらも生え揃っていた。そして、まだ薄く判別がつき難い眉や、閉じた目を縁取る睫毛もやはり金色だった。
「――母親似……かな。可愛い、ですね」
 もし、ここに他の正義超人がいれば、お約束の「猿みたいだ」と言う輩の一人や二人はいただろうが、実際にはここにはウォーズマンしかおらず、そして、彼だからこそ、生後数ヶ月のしわくちゃの赤ん坊の顔に『可愛い』以外の感想しか抱かなかった。
 目を細め、お世辞抜きでそう言ったウォーズマンの言葉に、アリサも笑顔を浮かべて応じる。
「ふふ……。ありがとう。そうなの。目元は私に似ているようだけど、口元はロビンに似ていると思うわ」
 妻の立場からの発言に、ウォーズマンも古い記憶から、連想出来そうなものを思い浮かべようと試みた。
 バラクーダとして接していた頃のロビンマスクなら、その口元を見たことがある。ただ、この小さな口から、あの当時の彼の口元を連想するのは困難ではあったが。
 まあ、普段見ている(筈の)アリサがそう言うのなら、似ているのだろう。心の内で頷いて、ウォーズマンは同調の言葉を紡ぐ。
「そう、いえば……そうかもしれませんね。あの――名前は、何て付けたんですか?」
「ケビンよ」
「いい、名前ですね。――もうひとつのほうは、訊いてもいいですか?」
「え?」
 ウォーズマンの再度の問いかけに、アリサは虚をつかれたような表情を浮かべる。
 軽い驚きの表情を浮かべたアリサに、ウォーズマンも少し戸惑ったように、言葉を続けた。
「『ケビン』はロビンが付けた名前でしょう? アリサさんが付けた名前は……あるんじゃないですか?」
 そう言われて、アリサも質問の意図を了解した。
 ウォーズマンは、この赤ん坊の両親はそれぞれが我が子に名を贈ったと考えて疑っていなかったらしい。
「――ええ、付けたわ」
 アリサは微笑んで頷くと、そっと、内緒事を口にするように、小さな声で耳打つ。
 小さな声で教えられたミドルネームに、ウォーズマンは目元を笑みにほころばせた。
「……そちらも、いい名前ですね」
「そう? ありがとう」
 微笑みに微笑で礼を返す。
 ちょうど、その時だった。

 ん〜。

 揺りかごの中の小さな身体が、少し身じろぎしてむずかるような声をあげた。
「あらあら。ケビン、お目覚めかしら?」
 眼を覚ましてむずかる、まだ、あまり動かない赤ん坊を抱き上げ、アリサは微笑みながら、その小さな顔を覗きこんだ。
「すいません、起こしてしまいましたか?」
 そう言って、恐縮したように広い肩を縮こまらせるウォーズマンに、微笑ましげに目を細め、アリサはそっと首を横に振った。
「そんなことはないわよ、気にしないで。ウォーズマンさん」
 大きな身体を精一杯小さくするウォーズマンの様相に、アリサはくすくすと笑みをこぼす。
「そうだわ、折角ですもの。一度ケビンを抱いてあげてはくれないかしら?」
 ふいに、そう言われ、ウォーズマンは驚いたように目を見開き、反射的に尋ね返していた。
「え……。良いんですか?」
「勿論よ。いいえ、むしろ抱いてあげて欲しいの。これから沢山の温もりを貰えるように。大勢の人に愛されるように」
 ウォーズマンの言葉に、頷き、アリサは腕に抱く小さな赤ん坊に、愛しげな眼差しを向けて囁くようにそう言った。
 その、アリサの願いをウォーズマンに拒否するいわれは、勿論なかった。
「――はい」
 素直に頷き、小さな身体を受け取る為に手を差し出した。
 赤ん坊の小さな身体が、母親の細い腕から、超人の逞しい手の中へと優しく移された――ら。
 がくん。
「うわ!? 首が!?」
 ごく普通に、胴体部分だけを支えて抱き上げた次の瞬間、首の骨が折れたのかと思うほどに容易く後ろに下がった赤ん坊の頭に、ウォーズマンは大いに慌て、困惑した、悲鳴にも似た声を上げた。
「そんなに慌てないで大丈夫よ。まだ、首がすわっていないから、首の後ろを支えるように抱いてあげて」
 その、悲鳴のような声に、アリサは苦笑気味に笑い、落ち着くようにと言葉を向けた。
「え……支えるって……」
 リングの上でなら、ついぞ聞いたこともないような小さく頼りない声音で、ウォーズマンはアリサに訊きかえす。
「片方の腕を曲げて――ちょうど肘の上に頭を置くように――そう、それでいいわ」
 言われたままに腕の形や位置を調整して、なんとか、小さな頭を安定させた。
「…………小さい」
「そうよ。まだ3キロしかないんだから」
 ウォーズマンの小さな呟きに、苦笑するようにアリサは目を細めた。
 2メートルを越え、ウェイトも150キロある超人レスラーからすれば、生まれて間もない赤ん坊など、片手に乗るほど小さく感じることだろう。
「それに……柔らかくて……なんだか、少し力を入れたら壊しそうで……怖いな――」
 最後の一言は、囁くような呟きだった。
 そして、それが深層からの呟きであることは、赤ん坊を抱く腕が先程からわずかも動いていないことからも知れた。
 怖くて――壊しそう、とか、落としそう、とか理由は幾らかあるだろうが――下手に腕を動かすことも出来ないのだ。
「大丈夫よ、ロビンの子供なのよ」
 理屈になるのかどうか、怪しい理論ではあったが、妙に納得出来てしまう辺りが……ロビンマスクのロビンマスクたる所以であろう。
 反論に困るアリサの弁に、ウォーズマンも曖昧に笑うしかなかった。
「……でも。すごいですね」
「――え?」
 もう一度、腕の中の赤ん坊に視線を落としたウォーズマンが、ぽつり、と呟いた一言に、アリサは不思議そうに首を傾げた。
「こんなに小さいのに、ちゃんと人間の形をしていて……爪まで、ちゃんとあって……。あたたかい――」
 独り言のように紡がれる呟きには、感動にも似た響きもあった。
 そして同時に、その言葉の裏にある哀しい意味も読み取ってしまったアリサは、応じる言葉を見つけられずに、ただ黙ってその呟きを聞いていた。
「――こんなに小さくても……生きているんですね――」
「――そうよ。みんな、最初は同じなの。誰だって、赤ん坊の頃は同じ様に小さくて――でも、ちゃんとした生き物なの」
 呟くウォーズマンの言葉にアリサは頷き、そして、言外に、貴方もまた同じなのだと、意を込めて、そう言った。
 アリサの応えに、ウォーズマンはほんの少し目を見開いて――しばらく言葉なく、彼女の顔を見つめていた。
 時間にすればわずかな間であったろう沈黙は、わずかなはにかみのこもったウォーズマンのかすかな笑みによって破られた。
 ほんの少し、目を細めて――小さな微笑をこぼして、彼は短くこう言った。
「――はい……」
 ただ、それだけだった。
 だが、それで充分だった。
「――ウォーズマンさん」
「はい」
「何時でも、この子の顔を見に来てあげてね?」
 願う言葉の形をとった、それは誘いだった。
 それを口実に、何時でも訪ねて来て欲しい。その言葉にはそんな意味がこもっていた。
「――――はい。オレなんかでよければ、いくらでも遊び相手になります」
 頷き、そう応えるウォーズマンの顔に浮かんでいた微笑みは――この上なく幸せそうなものだった。






04年皐月中旬

首ガクンは月読の実体験(笑)
多分、ケビンを抱っこしたのはロビンよりウォーズのほうが先(苦笑) 月読もそうでしたが(笑)
当家の設定では、アリサさんはウォーズに対して姉のように接していて、ウォーズもアリサさんを慕ってマス。
ウォーズはアリサさんのこと、理想的な母性の象徴として見てるんじゃないかなあ、と思うわけです。
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