月もなく、星の瞬きもない、漆黒の夜に。
新月の闇に覆われた夜空に溶け込み佇む人影がひとつ。 見下ろすは、暗い天に反して光に溢れた街の夜景。 「――行かれるのですか」 佇む『彼』の背後から不意に、静かな声が投げかけられた。 その問いに、振り返ることはせず、眼下の夜景を見るとはなく見下ろしたまま静寂にも似た声音で応じる。 「――私は――戻らねばならない。私の在るべき場所、在らねばならぬ場所は此処ではないのだから」 落ち着いたその言葉に滲むのは、苦悩でも苦痛でもなく、そうせねばならぬ、という固い意志。 「――貴方は……変わりませんね、王子。変わらず――強い意志をお持ちだ」 その返答に、問いを投げかけた声に苦笑が浮かぶ。 「貴方の行こうとする道は険しい。それでも……」 「行く」 返るのは、短く確かな断言。 「私は、あの世界を継ぐべき者であり、継がねばならぬ者だ。私がその義務を放棄することは、決してない」 「しかし、今の貴方はあの世界をそのままに受け入れることは出来ないでしょう――」 「……。先生」 僅かな沈黙の後、呟き出されたのは、遠い過去に霧散したと思われていた呼びかけだった。 「私は――かつて貴方が私に教えてくださったものを、そしてこの地で得たものを、無駄にすまいと思う。私は、それらをもって、あの世界を変えようと考えている。――その為に……あの世界に戻るつもりです」 「……往かれるのですね」 口をついて出たのは、問いの形をした、確認。 「往きます」 返るのは、懊悩も躊躇も微塵もない、確固たる意思を込めた一言。 「では、王子。私もまいります」 静かに。そう告げれば。 「先生……?」 云われた言葉の意を計りかねたように、怪訝な声が懐かしい呼びかけで問い返してきた。 「私が一度、間違えてしまった道を正してくれた人々に対するせめてもの贖罪として、貴方の助力をさせて下さい」 告げる。静々と。淡々と。 申し出の形をとりながら、決して退かぬだろう事を窺わせる強さを秘めた語調で。 「――――止めても、無駄ですね」 「そうですね」 微かに、互いの声音に笑みにも似た色が宿り揺れる。 「――――往きましょう」 今度は問いではなく、確認でもなく、ただ其処にある現実を言葉にした。 「ああ――――」 そうして、二つの人影は純黒の闇に溶けて――消えた――――。 了
2003年葉月制作 |
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