王位争奪の戦いからようやく八ヶ月ほど過ぎたが。 即位して一年にも満たぬ新王には、それは短すぎ、かつ光のごとく早く過ぎた時間でもあった。 「スグル様……」 夜も更けた頃。 書斎にこもりきりになっていた彼の背に控えめにかけられた声に、キン肉マンはにらみつけるように読んでいた書籍から顔を上げ、そして扉の方を振り返った。 「――どうしたんじゃ、ビビンバ」 どことはなく心配げな表情を浮かべている新妻に、キン肉マンはつとめていつもどおりの笑みを見せる。――少しでも、安心させようとするかのように。 帝王学と呼ぶべきものを受けることなく王位についた彼にとっては、政務のすべては未知なるもので。 そして、同時に学ばねばならないことも山のように存在していた。 学問らしい学問とは無縁で暮らしてきた身には、非常な重責ではあったが、キン肉マンはそれらの習得に対する努力を怠りはしなかった。 王位の権利だけを享受することだけはすまい。玉座に座る以上、それに対する義務は果たさねばならない。 それこそが、王冠を――真紅のマントを身につけたあの日、超人の神々より王として認められたあの日に立てた誓いであったから。 慣れぬ分を、時間と努力で埋めようと、この八ヶ月、キン肉マンは寝る間も惜しんで政治や経済に関わる書籍を読み漁っていた。 そんな夫の様相を、ビビンバが案じない筈はなく。 そして、そのことをキン肉マン自身も理解はしていた。 だからといって、怠るわけにはいかないことでもあった。 「――遅いから寝ろ、というのじゃろう? もう少ししたらちゃんと寝るからのう、怒らんでくれんか?」 少しおどけた口調で、キン肉マンはそう言って軽く首を傾げる。 その、叱られそうな気配を察した子供のような仕草に、ビビンバもほんの少し、微苦笑をこぼした。 「それもありますけど――それだけではありませんわ」 そっと夫の側まで近付くと――ビビンバは両手に抱えていた小箱を書机の片隅に丁寧に置いた。 不思議そうにキン肉マンがそれを覗き込む。 その中に入っていたのは――封筒の小山だった。 「地球からの手紙ですわ」 目を丸くして瞬く夫に、ビビンバは微笑をにじませた声音でそう告げた。 妻の言葉に軽く首を傾げながら、彼女を見上げたキン肉マンに、ビビンバは微笑んだまま無言で頷き、封を開けるように促す。 妻からの眼差しだけの促しに、キン肉マンは疑問符を浮かべながらもその内の一通を手に取り、ペーパーナイフでそっと封を切った。 開いた封筒の中を覗き込めば、入っていたのは二枚のメッセージ・カード。 首を傾げながらもそれらを取り出し――その内の一枚に書かれた文面を視界におさめて、キン肉マンはこれ以上ないほどに目を見開いた。 メッセージ・カードに書かれていた筆跡は、見慣れたものだった。 否、忘れる筈がない。 何故ならそれは――。 六年間、地球で誰よりも近しい存在であった友の。 どんな仲間よりも側近くに心を置いていた親友の。 最高のタッグパートナーであり、最大のライバルでもあった男の筆跡であったから。 その、誰より懐かしい人物の筆跡で書かれた文面に視線をなぞらせ――見開かれた目は、瞬きさえ忘れたようにそのまま止まる。 『Happy Birthday, Kinnikuman』 たったそれだけの――短い、ただそれだけの文面ではあったが。 その、たった一文に込められた想いがどれほどのものか、伝えるには――充分だった。 もう一枚も手に取り見てみれば、予想どおり、こちらには長い付き合いの女友達の筆跡で、彼女の母国語で同じ内容の文面が書きしたためてあった。 他の封筒も、次々に封を開けて中身を取り出せば。 思ったとおり、懐かしい筆跡で綴られた祝いの言葉が姿をあらわした。 墨痕も瑞々しい達筆で、丁重に。 伸びやかなペン先が、明朗に。 几帳面な筆跡が、控えめに。 豪快に書かれた文字が、端的に。 あるものは軽やかに。あるものはたどたどしく。かと思えば、気取った風に。 どの紙面にも、それぞれの個性で、各々の言葉で、けれど同じ内容の寿ぐ言葉が書き記されていた。 「一日遅れの誕生日プレデントですね、スグル様」 キン肉マンの傍らに立ったビビンバが囁くようにそう言って微笑む。 妻の言葉に、キン肉マンも嬉しそうに目を細め、口元を緩めて頷いた。 彼ら、正義超人達の間に横たわる星海は、簡単に越えられるものではない。 それでも。 心のつながりは途切れはしないのだと。 それを伝えてくれるかのように、届けられた手紙の数々が、ただただ嬉しい。 「それから――」 ビビンバの呟きに、軽く目をしばたかせて、キン肉マンは妻を振り返った。 そんな夫に、ビビンバはそっと、一枚の紙を差し出した。 細くたたまれ、何かに結びつけたかのような形に折られたそれを、キン肉マンは不思議そうな表情を浮かべて受け取った。 そして、首を傾げたまま丁寧に広げていく。 「マッスル・フォール近くの木の枝に結び付けられていたそうですわ」 ビビンバの言葉を聞きながら、紙面を広げ――そして、キン肉マンは言葉を失った。 滑るように流れる筆記体は、装飾文字にも使えそうなほどの達筆。 見覚えのないその筆跡。 書かれていた言葉も、短過ぎるほどに端的だった。 それだけを見れば、誰から誰に贈った言葉かすら分からぬほどに。 だが――。 『お前が生まれてきたことに、祝福と感謝を――。 A』 初めて見る筆跡だった。 けれど、それが誰の手によるものか、そして、誰に贈られた言葉か、気付かぬ筈がない。 「――」 キン肉マンはしばしその書簡を凝視していたが、そっと顔を俯けた――ビビンバから顔を隠すように。 その広い肩を。 ビビンバはその細い腕で、包むように抱きしめた。 そして、夫を抱きしめたまま、ビビンバはそっと目を閉じた。 夫の頬を伝う涙に気付かぬ振りをして…………。 了
2005年弥生下旬 |
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